上海ビエンナーレで王海川が提示する、中国現代社会のひずみ
11月11日〜2017年3月12日に、上海当代美術博物館で開催されている第11回上海ビエンナーレ。インドのアートユニット「ラックス・メディア・コレクティブ」のキュレーションのもと、95組のアーティストが参加し、日本からは新井卓と笹本晃が出展している。コンセプトの「Why Not Ask Again(ホワイ・ノット・アスク・アゲイン)」は、様々な問題を改めて問い直すことで、その問い自体が世界でどのように機能してきたのかを考える、というものだ。本稿では、出品作家の王海川(ワン・ハイチュン)に、自身もアーティストとして活動しながら彼の活動を研究している寺江圭一朗が迫る。この国際展のコンセプトを象徴している王の作品は、中国の社会全体で見られる、普遍的な課題を提示している。
今回の上海ビエンナーレに王海川が出品している《七日》は、彼が進める「銅元局プロジェクト」の一環として位置づけられている。本プロジェクトの舞台になっている、中国の重慶市にある銅元局は、1904年に清の銅貨工場として開かれ、30年に武器製造工場の街へと転換した。50年代には工場の周辺にソ連のデザインを採用した社宅群がつくられ、労働者たちはそこで集団生活をするようになった。「三線建設」(ソ連への対抗を目的に、1964年に毛沢東が経済発展や軍事拡大を推進した、工業化計画)が停滞する70年代初頭までの間に急速に発展し、最盛期には4万人の労働者がこの地域にいたという。
第二次世界大戦が終わり社会情勢が変わると工場は役割を失い、都市の再開発のため、2001年頃から建物の取り壊しが進む。住民たちは政府の用意した別の場所への移住を余儀なくされた。現在、ほとんどの住人はすでに移動し建物も崩されたが、一部はまだ残っており、当時の労働者も少数だが暮らしている。だが数年内に、社宅とそこで形成された共同体は完全に消滅する予定だ。このような歴史を持つ銅元局は、典型的な中国の都市化の過程をたどってきた場所だ。ここを舞台にしたプロジェクトを09年から行っているのが、王海川である。
《七日》は、銅元局の建物が取り壊されたときに7日間かけて集めた廃材を利用した、教会と懺悔室をイメージした2つの構造物によって構成された作品だ。一部には、「銅建村」という昔の銅元局の住所を示すサインや、住人が残した生活用品がコラージュされている。懺悔室を模した、人々がユートピアとして希望を持っていた集団主義時代の記憶の塊の前に、異なる価値観のなかで生活を送っている私たち鑑賞者が立つ、という構図になっている。だが、出品作だけでは、銅元局プロジェクトの全体像は見えにくい。
銅元局プロジェクトの活動を、王は「テスト」と呼んでいる。具体的には、アパートが壊されるまでの記録や人々へのインタビュー、美術教育プログラム(地域住民にカメラをわたして個人的な写真を撮ってもらい展覧会を開催したり、住民たちとともに地域の祭りをつくるなど)といった、継続的な活動を複数行っている。このようなことを通して、住民のうちの何人かは廃材などを用いて作品をつくるようになった。《七日》は、彼らの方法を参照してつくられた作品でもある。「街の再開発の過程で社会的には排除されつつある住民たちが、取り壊しの際に出た不要なゴミを使い、何もないところから価値を生み出すことに表現の強さを感じている」と王は言う。
テストによって、美術教育的なプログラムを受けた住民の何人かが作品をつくるようになり、彼もまたテストを通して住民たちの表現に興味を持った。通常の意味での教育とは異なる双方向の体験があったことで、《七日》のような作品は生み出されているのだ。
王は、銅元局の人々の個人的な思いや美的感覚に着目することで、自身の表現領域を拡張しようとしている。いっぽうで、プロジェクトを通して住民たちや銅元局に起こっている変化を調査することで、毛沢東時代の集団主義から資本主義的な現在の傾向に変化するまでの社会の変化や、そのどちらの社会も経験してきた1940〜60年代生まれの人々に起こっている変化を知ることも、活動の目的においている。
中国の今と昔の集団形成のされかたは、ずいぶん異なる。昔は職場が生活の単位になっており、同じ仕事をしている人たちは同じ宿舎に住んでいた。共同のお風呂や炊事場があり、個人の部屋は寝るためのベッドなど最低限のものが置かれているのみだった。集団の関係性は仕事と生活を共にすることで形成され、みなが同じ理想に向けて一緒に目標を達成しようとした。銅元局も、そういう場所だった。
その後、彼らは都市開発のために移住をさせられるのだが、移住先は、現在中国で採用されている「小区」と呼ばれる仕組みの場所になる。これは、一つの居住エリアに、様々な職種の人が住んでおり、近隣とは仕事を共有していない。また各自の部屋には風呂もトイレも設置されている。
このような社会や生活の変化のために起こる人間性の変化などを調査し、作品に反映させることで、個人と社会に起こる亀裂を王は表現しようとしている。その調査から表現までが、「銅元局プロジェクト」の全体像なのだ。
作品に見え隠れする政治性について王は、「この国は自由や平等、統率など様々な問題が残されているので、私たちは政治性を持つことを避けられない」と言う。だが、ここで留意しなければならないのは、作品を通して特定の政治的な態度を表明しようとしているのではなく、自然と政治性が出てしまうような状況に社会がある、と彼が考えていることだ。それは、中国で起こっている典型的な都市開発の現場自体をモチーフにすることや、王の創作の視点自体が政治的だということとは少し異なる。
上海ビエンナーレのコンセプトが示す「問い自体が世界にどのような影響を与えてきたか」という問題提起は、作家が世界をどのようにとらえ作品にしてきたのか、という問いに重ねることができる。王の言う「政治性を避けられない状態」にある、銅元局の人々や彼の作品は、社会やそれに翻弄される生活をどのようにとらえてきたかという、私たち自身の眼差しや思考の問題として、改めて考えさせてくれる。
中国において、露骨に政治的な態度を示す作品は「政治を利用しているだけだ」と批判されやすい一面を持つ。「本当に表現したいことを、政治性を持つことなくそのままかたちにできるとき、私たちは何を制作することができるのか。そこにも興味がある」と王は語る。その言葉は、自身の純粋な表現を希求することで真の自由や理想を社会に求める、アーティストの信念を示していた。
11月11日〜2017年3月12日に、上海当代美術博物館で開催されている第11回上海ビエンナーレ。インドのアートユニット「ラックス・メディア・コレクティブ」のキュレーションのもと、95組のアーティストが参加し、日本からは新井卓と笹本晃が出展している。コンセプトの「Why Not Ask Again(ホワイ・ノット・アスク・アゲイン)」は、様々な問題を改めて問い直すことで、その問い自体が世界でどのように機能してきたのかを考える、というものだ。本稿では、出品作家の王海川(ワン・ハイチュン)に、自身もアーティストとして活動しながら彼の活動を研究している寺江圭一朗が迫る。この国際展のコンセプトを象徴している王の作品は、中国の社会全体で見られる、普遍的な課題を提示している。
今回の上海ビエンナーレに王海川が出品している《七日》は、彼が進める「銅元局プロジェクト」の一環として位置づけられている。本プロジェクトの舞台になっている、中国の重慶市にある銅元局は、1904年に清の銅貨工場として開かれ、30年に武器製造工場の街へと転換した。50年代には工場の周辺にソ連のデザインを採用した社宅群がつくられ、労働者たちはそこで集団生活をするようになった。「三線建設」(ソ連への対抗を目的に、1964年に毛沢東が経済発展や軍事拡大を推進した、工業化計画)が停滞する70年代初頭までの間に急速に発展し、最盛期には4万人の労働者がこの地域にいたという。
第二次世界大戦が終わり社会情勢が変わると工場は役割を失い、都市の再開発のため、2001年頃から建物の取り壊しが進む。住民たちは政府の用意した別の場所への移住を余儀なくされた。現在、ほとんどの住人はすでに移動し建物も崩されたが、一部はまだ残っており、当時の労働者も少数だが暮らしている。だが数年内に、社宅とそこで形成された共同体は完全に消滅する予定だ。このような歴史を持つ銅元局は、典型的な中国の都市化の過程をたどってきた場所だ。ここを舞台にしたプロジェクトを09年から行っているのが、王海川である。
《七日》は、銅元局の建物が取り壊されたときに7日間かけて集めた廃材を利用した、教会と懺悔室をイメージした2つの構造物によって構成された作品だ。一部には、「銅建村」という昔の銅元局の住所を示すサインや、住人が残した生活用品がコラージュされている。懺悔室を模した、人々がユートピアとして希望を持っていた集団主義時代の記憶の塊の前に、異なる価値観のなかで生活を送っている私たち鑑賞者が立つ、という構図になっている。だが、出品作だけでは、銅元局プロジェクトの全体像は見えにくい。
銅元局プロジェクトの活動を、王は「テスト」と呼んでいる。具体的には、アパートが壊されるまでの記録や人々へのインタビュー、美術教育プログラム(地域住民にカメラをわたして個人的な写真を撮ってもらい展覧会を開催したり、住民たちとともに地域の祭りをつくるなど)といった、継続的な活動を複数行っている。このようなことを通して、住民のうちの何人かは廃材などを用いて作品をつくるようになった。《七日》は、彼らの方法を参照してつくられた作品でもある。「街の再開発の過程で社会的には排除されつつある住民たちが、取り壊しの際に出た不要なゴミを使い、何もないところから価値を生み出すことに表現の強さを感じている」と王は言う。
テストによって、美術教育的なプログラムを受けた住民の何人かが作品をつくるようになり、彼もまたテストを通して住民たちの表現に興味を持った。通常の意味での教育とは異なる双方向の体験があったことで、《七日》のような作品は生み出されているのだ。
王は、銅元局の人々の個人的な思いや美的感覚に着目することで、自身の表現領域を拡張しようとしている。いっぽうで、プロジェクトを通して住民たちや銅元局に起こっている変化を調査することで、毛沢東時代の集団主義から資本主義的な現在の傾向に変化するまでの社会の変化や、そのどちらの社会も経験してきた1940〜60年代生まれの人々に起こっている変化を知ることも、活動の目的においている。
中国の今と昔の集団形成のされかたは、ずいぶん異なる。昔は職場が生活の単位になっており、同じ仕事をしている人たちは同じ宿舎に住んでいた。共同のお風呂や炊事場があり、個人の部屋は寝るためのベッドなど最低限のものが置かれているのみだった。集団の関係性は仕事と生活を共にすることで形成され、みなが同じ理想に向けて一緒に目標を達成しようとした。銅元局も、そういう場所だった。
その後、彼らは都市開発のために移住をさせられるのだが、移住先は、現在中国で採用されている「小区」と呼ばれる仕組みの場所になる。これは、一つの居住エリアに、様々な職種の人が住んでおり、近隣とは仕事を共有していない。また各自の部屋には風呂もトイレも設置されている。
このような社会や生活の変化のために起こる人間性の変化などを調査し、作品に反映させることで、個人と社会に起こる亀裂を王は表現しようとしている。その調査から表現までが、「銅元局プロジェクト」の全体像なのだ。
作品に見え隠れする政治性について王は、「この国は自由や平等、統率など様々な問題が残されているので、私たちは政治性を持つことを避けられない」と言う。だが、ここで留意しなければならないのは、作品を通して特定の政治的な態度を表明しようとしているのではなく、自然と政治性が出てしまうような状況に社会がある、と彼が考えていることだ。それは、中国で起こっている典型的な都市開発の現場自体をモチーフにすることや、王の創作の視点自体が政治的だということとは少し異なる。
上海ビエンナーレのコンセプトが示す「問い自体が世界にどのような影響を与えてきたか」という問題提起は、作家が世界をどのようにとらえ作品にしてきたのか、という問いに重ねることができる。王の言う「政治性を避けられない状態」にある、銅元局の人々や彼の作品は、社会やそれに翻弄される生活をどのようにとらえてきたかという、私たち自身の眼差しや思考の問題として、改めて考えさせてくれる。
中国において、露骨に政治的な態度を示す作品は「政治を利用しているだけだ」と批判されやすい一面を持つ。「本当に表現したいことを、政治性を持つことなくそのままかたちにできるとき、私たちは何を制作することができるのか。そこにも興味がある」と王は語る。その言葉は、自身の純粋な表現を希求することで真の自由や理想を社会に求める、アーティストの信念を示していた。
王海川+倪昆谈话(一)时间:2012年6月14日Interview
王海川:《铜元局摄影项目——关于图像的平等》上海激烈空间报告
铜元局:作为方法和想象的艺术生产
Tong Yuanju:Art Production as Method and Imagination文/倪昆
铜元局:可再生的样本Tong Yuanju:A Renewable Sample文/张慧
无根之居 ——关于王海川的《小区》系列 文/康学儒
Wang Haichuan: the Manual Criticism about City Landscape王海川:对于城市景观的手工批判 文/皮力
王海川的采访/赵子龙Wang Interview time: May 14th, 2010 Interview place: Wang Haichuan Studio, Heiqiao, Beijing
褪色的城市景观 虚设的"人性"风景Fading City Landscape, Virtual “Human Nature” Scene/Interview
王海川:《铜元局摄影项目——关于图像的平等》上海激烈空间报告
铜元局:作为方法和想象的艺术生产
Tong Yuanju:Art Production as Method and Imagination文/倪昆
铜元局:可再生的样本Tong Yuanju:A Renewable Sample文/张慧
无根之居 ——关于王海川的《小区》系列 文/康学儒
Wang Haichuan: the Manual Criticism about City Landscape王海川:对于城市景观的手工批判 文/皮力
王海川的采访/赵子龙Wang Interview time: May 14th, 2010 Interview place: Wang Haichuan Studio, Heiqiao, Beijing
褪色的城市景观 虚设的"人性"风景Fading City Landscape, Virtual “Human Nature” Scene/Interview
王海川+倪昆谈话(一)
时间:2012年6月14日
地点:王海川重庆工作室
倪昆:第一次了解到“铜元局”是过来围观其中的“16.9 m2”作品中的‘送照片’环节,当时艺术家把已经拍摄过的铜元局集体宿舍的标准房间的照片送回到了已经搬迁的原住户手中,随着项目的继续展开,发现艺术家对于铜元局这个现场其实有着非常多的想述说和讨论的内容,这也引起了我极大的兴趣来介入观看这个项目。说到王海川,作为艺术家而言,大家了解到的首先是一个画家,但是“铜元局”却是一个综合性的现场介入项目,这里面有一个跨度极大的,不光是媒介语言上的,还是表达边界上的转变,我想从这开始进入我们之间的对话,就是,关于这种转变,它具体落到艺术家的实践中,它怎么出现的,我非常的有兴趣来了解。
王海川:这个问题,我觉得可以分两部分来回答。第一个就是为什么我会做《铜元局》,然后就是我在做《铜元局》的时候,为什么从绘画最后变成了现在的综合现场。这可以从我的绘画开始谈,我09年的时候,当时的关注点可以说是建筑形态,比如说建筑的外观,建筑和小区这些和建筑有关的一些东西。因为那个阶段你可以看到各种风格的建筑出现在城市,所谓的西班牙风格、地中海风格等,它和重庆,和中国这个大的居住环境及居住背景的一个突兀性。我试图通过绘画来表现它们。在那之后,我在重庆发现了铜元局这个地方,因为在这里还有很多以前的东西,也就开始画。而且当时是从更远的距离来观察,就是说画的还是很外观的东西。
倪昆:以绘画的方式来判断?
王海川:对,以绘画的方式来判断。但是做时间长了以后,我就觉得自己好像成为了一个图像收集者。当时就直觉的认为,你得走进去,走进去的实质就是和当地的人去发生关系,就好奇,为什么现在这边都废弃(搬迁)了他们还住在那,同时也关心为什么存在着这样的建筑形态,还有它是什么时候开始有的,等等的问题。所以就带着这些问题开始了我对于铜元局的再次接触,实际上就把外观的东西转换成了我对于整个生活形态的关注,才觉得这个东西它实际上背后有很多关于意识形态,包括建筑史在内的方方面面的东西。然后就开始决定做。所以实际上应该是2010年的时候,我真正开始了《铜元局》这个项目。
倪昆:差不多两年。
王海川:其实刚开始做的时候的想法也很也简单,是想做一个绘画的升级版,我想做一个关于建筑形态的装置。然后在搜集过程中,在真正进入以后,有些想法就开始改变,它有的在意料之中,有的在意料之外,接触越深越吸引我。这种方式,就是这种过程,也影响到我后来实施这个项目的思路。在此同时我也看一些这方面的书,比如说最近在看福柯的关于‘生命政治’的书籍,在它里面有谈论国家管理方式对于个人,它在存在和实施的过程中会产生一些什么的结果;再比如说自由主义市场,它产生了自由主义之后,也就产生了福柯所说生命政治。我谈这些是想说在这个不断了解的过程中,其实我自己的态度也在转变,最初的动机有一点底层关怀的内容,但是后来我觉得这个东西它还是有,但是它不强了。更多的是在研究这个体制和人们的关系,就是体制它形成了以后,通过时间,对于人发生作用,而人同样也对于体制产生一些回应。这个我觉得很有意思。我举个例子,金果园,是政府给铜元局的第一批安置地,它是公寓楼,面积很大,就建筑结构说,它完全不同于之前的集体主义建筑,它关于建筑的空间特性改变了,但是非常奇特的是,它把之前的社会结构给保留了,因为大的邻里关系还在,但是建筑空间造成的生活方式变了。所以说这个项目铜元局只是一个壳,更重要的是通过这些框架来研究人和社会的关系,人和制度间的关系。
倪昆:刚刚你谈的有一个细节,就说到,对于铜元局的关注是源于你绘画时的对于画面主题的需要而开始观察的,首先是来自对于城市景观化的建筑风格的批判,其次是在具体和铜元局展开对话之后的关注主体的转移,从对景观现象的观察到主动的展开关于结构和背景的讨论。我首先想了解的是关于立场的,因为任何一个具体的项目,其内部都存在着一个关于立场的倾向,我想了解在“铜元局”这个项目中,艺术家的态度和立场是怎样的。
王海川:关于立场,怎么说呢,最初的时候肯定存在着一种对于贫困的,边缘化的人群的人文关怀,你也可以说是一种底层关注。不过当你更加深入的接触后,肯定就有了要看它本质的要求,为什么会变成这样。因为我们都是一样的,处在一个大的社会环境时代下,为什么有一群人变成这样,另外一群人可能也不一样。这个我觉得不是一个简单的关于底层的一个问题,而是人在什么社会环境,什么体制和社会结构里,被塑造成为怎样的种类的问题。比如说我们,念书,从美院毕业,自己创业,然后又做艺术,这个过程是一个比较自由的状态,可以说它还没有太多的被规定的内容在里面。但是真正融入到这个社会的人,你最后发现一切都是被规定的,他在刚开始的时候就已经被决定了会成为什么样子。当然我们也可以谈自由主义,但是这不是一个简单的自由主义的问题,我们知道在现在的西方,那些左派,也常常会强调国家管理及干预这样的方式。也因此我直觉的意识到,我应该思考和对话的对象不可以在这个方向,也因此我又回到了一个基本的出发点,也就是作为一个人,一个公民的概念上,在这个基础上来展开我对于铜元局的讨论,我觉得这个比较好。
倪昆:有所行动。
王海川:对,有所行动,或者是说需要你真实的经验来阐释一个自己的观点。我觉得这个很重要,我们常常说到公民社会,它需要这种东西,有实在的,有能经得起推敲的一些东西,而不是简单的口号。但事实是我们面对的这种政治,它变得就是很可怕化,很简单化,很暴力化。(铜元局)这个也是自我解脱的一个办法,我觉得。在铜元局的展开过程中,我了解到,这些厂区居民的素质,大部分是高中毕业,文化教育程度相对较低,这种人实际上它的社会能力、社会活动能力是非常差的。而且他在很小的时候就开始进厂,厂里面把他所有的工作、生活,包括所有的东西全安排了,改革开放以后,市场经济出现了,竞争意识也就出来了。这个东西他以前是消极对待的,现在他变得不得不积极,但是他又没有很好的应对方法,这个时候人的很多缺点就暴露出来了,我觉得是一些比较可悲的东西出来了。
倪昆:也很复杂。
王海川:对,很复杂。就是说当你以同情的姿态和他们接触时,他们会利用这个东西,比如说我们在《铜元局》的一些现场项目时,我们放在现场的一些物质和材料,他们自己把很多东西就拿回家了。所以这个情况不可以简单的用一个什么东西来套它,它比想象的复杂。这又回到体制对人性的塑造问题上。
倪昆:关于社会介入性项目,本身就存在着非常不同的介入思路及态度,或者说一些技巧。“铜元局”说起来已经实施了近两年了,它本身就是一个不断修正和发展的过程,因为现场是正在发生中的进行时,这意味着艺术家需要有敏锐的嗅觉来判断和调整自己的作品方向。就实质而言,艺术家在公共环境的作品实施都是某种程度的‘植入’,如何来把控和调整它,非常的重要。
王海川:谈到这个问题,我觉得肯定要谈。因为我们的框架,对象已经确定了以后,你的方法实际上就显得很重要了。这种方法其实也是慢慢形成的。就比如说我最早实施的‘送照片’那个行为,就现场的控制而言,事后我觉得不是很好,但是我直觉感觉到这就是一个测试。实际上我觉得我后来的一些项目,都是围绕它来展开的。就是说我,作为一个艺术家,用一些类似艺术的方法来介入到他们的日常生活环境里,他们的反应是什么。就实质而言,我们现在的状况都是被塑造的结果,相比较而言,他们在工厂里,被塑造和被规训的结果就更加的明显,而且(按照)他们的年龄结构、他们的经历来说,已经很难再改变。所以可以说,这个国家已经对这些人有过测试和改造了,我希望我可以通过我的一些方式,对于这些已经被测试过的人和事进行进行再测试,我想看到当初造成他们这种反应的原因在哪。有这个考虑后,我用的方法就更多的是测试。
倪昆:那关于测试的后续,你是怎么处理的,比如说会不会把这些收集的结果作为一些新的作品的起点,比如说作为这个项目的背景说明什么的。
王海川:这个会做的。我补充一下,就是你说的现场测试的结果,有的结果我觉得它不一定要被完全记录下来,也没法记录,有的时候你没条件记录。但是这种结果它肯定会有,比如说当时旅行计划里边出现第一天的哄抢情况,到第二天的自觉维护,它实际上就是测试的一个结果。因为实际上如果我们只进行一个环节的话,那么你就只会看到哄抢而看不到自发的维持次序。关于这个测试应该会一直做下去的,比如说接下来的‘还建房’计划,也是在这个框架下。
倪昆:这个是怎么一个实施情况呢?
王海川:我计划把我设计的家具放到他们的安置还建房现场,这些家具的来源都是我在铜元局现场收集到的旧家具材料,有改装。计划送一套给一户人家,然后他们在里面生活一年,这一年我想测试他们对这种家具的反应。因为一年是一个长期的时间,不像我之前的‘旅行计划’,它只有两天。一年的时间可能会改变家具的形状,甚至直接的改掉,或者扔掉都有可能。当然也可能增加点什么。这个计划我会通过影像,图片的方式来记录呈现。
倪昆:家具都是改装过的?
王海川:是的。因为是要拿给她们直接使用,首先必须保留它们的功能,能用。这些家具可以说是一些集合体,都是他们曾经用过的,曾经看到的属于那个时代的东西,甚至有些是新的东西,被组合在一块。他们会对这个东西产生一些反应,我觉得会的。
倪昆:情绪上可能会回应。
王海川:对,从情绪上他会用的。但是也很有可能在用的过程中会变得很奇怪,有可能最后家具中放的是完全我们现在不能设想的东西,对不对?还有这个家具,它本身就是一个拼贴的产物,它一半的材料来自以前开会看电影时候的长椅,一部分就是家里的柜子,是之前的公共属性的东西和私人属性的东西的集合,我再把它放到私人环境里,也很想看到它会产生什么另外的东西。因为一年的时间很长,真说不定会产生变异,也许他会在上面贴很多其他的东西,或者做一些什么调整。我觉得他有他自己的一个思路。其实我在拍“16.9 m2”的时候,实际上每个家庭他都有自己的行为方式,这是长期的时间渗透下的结果,是平时我们教育里面可能不能体现的一种东西。
倪昆:这个很有意思。
王海川:是的,比较好玩。但是我的这个设定有自己很主观的想法在里面,虽然说给他的这些家具的基本元素还是他们原来生活里的一部分。
倪昆:是不是已经沟通好了,可以把他们放进去了。
王海川:是这样,这个事情有点小插曲。最初我是想找我认识的一个瞎子,他目前还住在铜元局的职工宿舍里,这个瞎子我觉得他很有意思,他是一生下来就瞎了,现在五十几岁,每天自己买菜,做饭。自己做清洁,家里非常的干净。因为瞎子的听力好,知道很多身边人的事情,同时也很愿意和我谈这些事情。就这样我们就比较熟悉了,就想,如果让一个瞎了的人来改变这些东西是不是会有更大的意外在里面。他是我考虑的人选之一。但是不幸的事情,他前一段时间疯掉了,现在去治疗了,可能要另外换人。所以这个计划也要推迟了。
倪昆:我们回到最初的话题拉继续聊。就身份而言,你在很多人眼里,首先是个画家,因为很长时间里都是以绘画为主,然后到现在,现在应该是一个艺术家的概念,这两点,刚才其实也谈到了,就是因为《铜元局》这个事情,我认为从这一点看,《铜元局》这个项目它拓展了你的艺术范围,我对于这些变化一直都很有兴趣,想请你再多谈谈。
王海川:我觉得绘画对我来说,绘它有两个问题,其一就是它的局限性,这一点大家都意识到了。第二个问题就是,绘画因为是手在控制,它有愉悦感,很容易让人陷进去而拔不出来。这种愉悦感实际上就有点像毒品,有点上瘾,上瘾了你就感觉很安逸,然后就会觉得,考虑这么多干嘛,享受它就可以了。其他的媒介,我之前都没有做过,实际上在考虑展开这个项目的时候,就开始觉得绘画已经不能表达了,所以到后来我会考虑用摄影,用到装置,做一些现场活动等。当你把这些事情拓展后,媒介我就觉得不再显得那么的重要了,就是一个工具,这么好用就用什么,你觉得应该用摄影,像“16.9 m2”,你就必须使用到它。因为只有这样才可以把这个马上要消失的现场给真实的记录下来。如果说活动你得跟踪,时间拉长了,就用介入的方法比较合适。媒介不是目的,只是达到目的手段。如果你的方式变成目的的时候,就是你在研究它了,是媒介语言内部的问题,是又一个陷阱。我是这样一个态度。
倪昆:也就是说目的明确了,手段就自然清楚了。
王海川:因为那些我们曾经认为的很前卫的媒介,其实到现在已经变成为一些很传统的方式了,我不考虑它的方式,目的才是主体。
倪昆:所以之后也出来了一些看不出是什么类型的作品,比如说“旅行计划”等。
王海川:对,那个旅行计划会被定义为什么我确实不关心,我就是觉得我应该去做,然后就邀请大家一块参加,去玩,等于说我自己组了一个团去铜元局旅游。这次实施我确实没有考虑过具体的什么媒介啊,方法啊,所以到再后来看到了柏林双年展上的情况,就特别的兴奋,因为发现有不少类似的实践也正在发生。
倪昆:是的。
王海川:其实这些是关于艺术边界的问题,你作为一个艺术家,在自己的道德框架内,你参与任何东西,它都是合理的。在这种条件下,艺术为什么不能够这样,为什么一定要出现规定的装置,一定要被分类才可以被阐释,我觉得至少我没有这么想过,但是看到了类似的东西出现还是蛮兴奋的。可能人家已经做了很久了,我没注意到它,从我的知识面上没接触到这个东西。当然我也是无意识的开始了我的这些实践,所以看到的时候,我就觉得说:哎,好啊。
倪昆:是的,就项目而言,其背后的线索和逻辑是非常重要的,就比如说测试是一个关键词,它就是你很多具体的作品实施的起点和基础。
王海川:是的,又说到铜元局旅行这个活动,它的结果和你在展厅里的装置,影像,或者任何一个东西比较起来,我都觉得目前的选择是最合适的。因为真正参加的人他的心理感受肯定会完全不同于一个展厅里所看到的移动影像,或者一个关于铜元局的介绍,因为你可以和人家交流,而且你可以串门,串到人家家里去看,去了解。这个我觉得,你要说和艺术有关,它肯定也有关,因为你艺术家的身份就决定了,你是以艺术这个方式来介入这个项目,而不是什么一个普通的文艺表演,一个春晚,元宵晚会什么的。所以我觉得从这个角度看,实际上我们提到的更多的可能是第一现场的问题,就是把第二现场,我们通常指的展厅这个现场,给直接发生在第一现场了。所以后来做的一些活动,就是趋向于第一现场的东西。
倪昆:“铜元局”项目有没有一个明确的时间表,另外关于不同阶段的工作计划,有没有一些在日程上的安排。
王海川:你说到时间表,或者《铜元局》它什么时候开始我可以说,但是什么时候结束,我觉得可能永远也没有结束的说法,它在进行着。但“铜元局”只是一个载体,目前我是这样看的,有可能铜元局三年以后变成了一大片高档住宅,原住宅户被分配安置到各个社区,实际上,在物质空间上它就完成了自我的一个框架。但是在你的认识和思想上,这个框架可能是一辈子都在的。不过以‘铜元局’作为命名的这个项目,可能在那个时间是一个结束点。
倪昆:就说物理结束的时候。
王海川:对,物理结束的时候,因为对象已经很难去再把握,已经被融入到更大的一个社会里面去,你再去筛选它的这种特殊性、阶层性很难的,可能我会用类似的方法来分析其他的社群。比如说前段时间我去香港,看到香港特别老的那种住宅区域,他们那种生活状态,比如说钵兰街,那一片很老,他们又不搬,并且形成了他们的一种文化景观,这些东西会是我将来的工作吧。
倪昆:以前很多大城市里出现的城中城也是很特殊的现象。
王海川:对,这也是我比较感兴趣的。因为他们也是另外一群在制度下的群体,有很多可以讨论的话题。另外,因为我经常去日本,发现他们那种私有住宅和社区,传统间的关系,也很特别。比如说我在京都就有留意到在西面的一个区域,那里居住的基本上都是日本的传统手工、织工、织布,也就是和服制作的产业链上的工人全聚居在那儿,他们有自己的文化,有自己的社会沟通方式,还有他们与其他区域发生关系时的状态,都是比较有意思的内容。
倪昆:但这种你计划的在异地的项目,在实际操作上应该存在很多困难吧。
王海川:难肯定难嘛,条件具备的时候就开始做,还没准备好的时候就经常关注。上次我去日本的时候也有遇到一个朋友,他在日本是专门研究这个东西的,他是以社会学的方式,用福柯的一些概念来研究这种社会边缘人群。我想大家可能存在一些交叉的地方。所以主要还是自己怎么来考虑自己将来的工作,操作方法上可以很灵活,短期可以有短期的作品,长期应该有长期的打算,就是这样。
倪昆:说到方法,其实具体下来就变成不同阶段的一些作品。关于作品的媒介选择和分类,不同作品会存在不同的方法的。关于这点,具体到你的项目时,有没有一些很明确的态度。
王海川:我还是把它模糊化,模糊化实际上不是说选择时的不明确,我觉得还是根据你的结构来放,合适的判断会出现在合适的时间点上,至于说边界在哪,这个只能凭自己的感觉来判断。
倪昆:对,应该是这样,它是应该还原到现场来再考虑的一个事情,这也需要有大量的筛选及准备工作。这和只是在工作室的创作还不一样。
王海川:不一样,我觉得还是框架决定你的工作方式,肯定是这样。你说的就是这种筛选和准备工作,为什么我觉得必须花很长的时间来收集整理和准备这个东西,其实在进行中就很自然的认为就是应该如此,不能说你觉得哪个东西有价值,哪些没价值,我觉得所有的准备都是有价值。你每天去和他们聊两句话都是有价值的,但是不一定最后以作品方式呈现,有的东西无法呈现,无法表述,也无法分享,所以这个就实际上是各种得到的内容的综合,并且每个东西都可能是最有价值的。
倪昆:你的这些作品实践中有很重要的一个基因,就是它的时间性,这非常的重要,也只有如此,这个项目才足以完成它关于讨论主体的再塑造。另外,我还有一个疑问,也是关于作品的具体实施是,因为我们都是经历过美学训练的,通常会很自然的把这种气质带到现场里来,但是如果把握不好就会成为某种突兀的景观,关于这一点,我本身是很反对的,你在具体的作品实施时,对于这一点是这样的态度,会怎样来处理。
王海川:我想你具体指的应该是我那件马上就要实施的作品吧,是的,我会在铜元局的原厂区修建一个两米高度的类似于井的圆柱体,我还没想好它应该起个什么名字,不过我觉得它现在的出现是合适的。为什么这样判断,是因为我现在和那些居民的关系足以让他们参与到这个作品,这会改变关于景观的判断。我是想让他们,甚至我在里面和他们聊这些,甚至让他们自己来一个,甚至他们在里面就是发发牢骚,我觉得都是很好的一个东西。最初我有这个想法就是想把这做出有点仪式化宗教化的东西,因为每次我去铜元局回来的时候都会看到一个奇怪的现象,就是不断的有人晚上在路边插香烧纸,还有在空壳的房屋外涂鸦一些怪兽,我觉得民间有这个东西,你说是封建迷信也好,宗教仪式或祭奠仪式也好,它有着一些宗教的功能,但是不是一个明确的我们熟知的佛教什么。它是一种需要,一个通道,因为通过这可以把那些没法去倾诉,没法去沟通的东西给释放出来。所以我就给他们提供一个这种东西,他们进去了可以直接看到天空,其实也就是直接面对自己。而且这也是一种测试,测试他们对新出现的这个结构,会不会把这个东西完全当成一个仪式来做,我是想看看会不会有这个结果。
倪昆:那计划是7月份吗?还是再晚一点?
王海川:最近。现在就是联系我这测试的一些场地,场地联系了马上就进行,完了然后跟着拍两天,等有空就过去,然后约一些比较熟的那种居民一块儿去,就这样。
倪昆:好的,那到时候去现场看。
王海川:好的
时间:2012年6月14日
地点:王海川重庆工作室
倪昆:第一次了解到“铜元局”是过来围观其中的“16.9 m2”作品中的‘送照片’环节,当时艺术家把已经拍摄过的铜元局集体宿舍的标准房间的照片送回到了已经搬迁的原住户手中,随着项目的继续展开,发现艺术家对于铜元局这个现场其实有着非常多的想述说和讨论的内容,这也引起了我极大的兴趣来介入观看这个项目。说到王海川,作为艺术家而言,大家了解到的首先是一个画家,但是“铜元局”却是一个综合性的现场介入项目,这里面有一个跨度极大的,不光是媒介语言上的,还是表达边界上的转变,我想从这开始进入我们之间的对话,就是,关于这种转变,它具体落到艺术家的实践中,它怎么出现的,我非常的有兴趣来了解。
王海川:这个问题,我觉得可以分两部分来回答。第一个就是为什么我会做《铜元局》,然后就是我在做《铜元局》的时候,为什么从绘画最后变成了现在的综合现场。这可以从我的绘画开始谈,我09年的时候,当时的关注点可以说是建筑形态,比如说建筑的外观,建筑和小区这些和建筑有关的一些东西。因为那个阶段你可以看到各种风格的建筑出现在城市,所谓的西班牙风格、地中海风格等,它和重庆,和中国这个大的居住环境及居住背景的一个突兀性。我试图通过绘画来表现它们。在那之后,我在重庆发现了铜元局这个地方,因为在这里还有很多以前的东西,也就开始画。而且当时是从更远的距离来观察,就是说画的还是很外观的东西。
倪昆:以绘画的方式来判断?
王海川:对,以绘画的方式来判断。但是做时间长了以后,我就觉得自己好像成为了一个图像收集者。当时就直觉的认为,你得走进去,走进去的实质就是和当地的人去发生关系,就好奇,为什么现在这边都废弃(搬迁)了他们还住在那,同时也关心为什么存在着这样的建筑形态,还有它是什么时候开始有的,等等的问题。所以就带着这些问题开始了我对于铜元局的再次接触,实际上就把外观的东西转换成了我对于整个生活形态的关注,才觉得这个东西它实际上背后有很多关于意识形态,包括建筑史在内的方方面面的东西。然后就开始决定做。所以实际上应该是2010年的时候,我真正开始了《铜元局》这个项目。
倪昆:差不多两年。
王海川:其实刚开始做的时候的想法也很也简单,是想做一个绘画的升级版,我想做一个关于建筑形态的装置。然后在搜集过程中,在真正进入以后,有些想法就开始改变,它有的在意料之中,有的在意料之外,接触越深越吸引我。这种方式,就是这种过程,也影响到我后来实施这个项目的思路。在此同时我也看一些这方面的书,比如说最近在看福柯的关于‘生命政治’的书籍,在它里面有谈论国家管理方式对于个人,它在存在和实施的过程中会产生一些什么的结果;再比如说自由主义市场,它产生了自由主义之后,也就产生了福柯所说生命政治。我谈这些是想说在这个不断了解的过程中,其实我自己的态度也在转变,最初的动机有一点底层关怀的内容,但是后来我觉得这个东西它还是有,但是它不强了。更多的是在研究这个体制和人们的关系,就是体制它形成了以后,通过时间,对于人发生作用,而人同样也对于体制产生一些回应。这个我觉得很有意思。我举个例子,金果园,是政府给铜元局的第一批安置地,它是公寓楼,面积很大,就建筑结构说,它完全不同于之前的集体主义建筑,它关于建筑的空间特性改变了,但是非常奇特的是,它把之前的社会结构给保留了,因为大的邻里关系还在,但是建筑空间造成的生活方式变了。所以说这个项目铜元局只是一个壳,更重要的是通过这些框架来研究人和社会的关系,人和制度间的关系。
倪昆:刚刚你谈的有一个细节,就说到,对于铜元局的关注是源于你绘画时的对于画面主题的需要而开始观察的,首先是来自对于城市景观化的建筑风格的批判,其次是在具体和铜元局展开对话之后的关注主体的转移,从对景观现象的观察到主动的展开关于结构和背景的讨论。我首先想了解的是关于立场的,因为任何一个具体的项目,其内部都存在着一个关于立场的倾向,我想了解在“铜元局”这个项目中,艺术家的态度和立场是怎样的。
王海川:关于立场,怎么说呢,最初的时候肯定存在着一种对于贫困的,边缘化的人群的人文关怀,你也可以说是一种底层关注。不过当你更加深入的接触后,肯定就有了要看它本质的要求,为什么会变成这样。因为我们都是一样的,处在一个大的社会环境时代下,为什么有一群人变成这样,另外一群人可能也不一样。这个我觉得不是一个简单的关于底层的一个问题,而是人在什么社会环境,什么体制和社会结构里,被塑造成为怎样的种类的问题。比如说我们,念书,从美院毕业,自己创业,然后又做艺术,这个过程是一个比较自由的状态,可以说它还没有太多的被规定的内容在里面。但是真正融入到这个社会的人,你最后发现一切都是被规定的,他在刚开始的时候就已经被决定了会成为什么样子。当然我们也可以谈自由主义,但是这不是一个简单的自由主义的问题,我们知道在现在的西方,那些左派,也常常会强调国家管理及干预这样的方式。也因此我直觉的意识到,我应该思考和对话的对象不可以在这个方向,也因此我又回到了一个基本的出发点,也就是作为一个人,一个公民的概念上,在这个基础上来展开我对于铜元局的讨论,我觉得这个比较好。
倪昆:有所行动。
王海川:对,有所行动,或者是说需要你真实的经验来阐释一个自己的观点。我觉得这个很重要,我们常常说到公民社会,它需要这种东西,有实在的,有能经得起推敲的一些东西,而不是简单的口号。但事实是我们面对的这种政治,它变得就是很可怕化,很简单化,很暴力化。(铜元局)这个也是自我解脱的一个办法,我觉得。在铜元局的展开过程中,我了解到,这些厂区居民的素质,大部分是高中毕业,文化教育程度相对较低,这种人实际上它的社会能力、社会活动能力是非常差的。而且他在很小的时候就开始进厂,厂里面把他所有的工作、生活,包括所有的东西全安排了,改革开放以后,市场经济出现了,竞争意识也就出来了。这个东西他以前是消极对待的,现在他变得不得不积极,但是他又没有很好的应对方法,这个时候人的很多缺点就暴露出来了,我觉得是一些比较可悲的东西出来了。
倪昆:也很复杂。
王海川:对,很复杂。就是说当你以同情的姿态和他们接触时,他们会利用这个东西,比如说我们在《铜元局》的一些现场项目时,我们放在现场的一些物质和材料,他们自己把很多东西就拿回家了。所以这个情况不可以简单的用一个什么东西来套它,它比想象的复杂。这又回到体制对人性的塑造问题上。
倪昆:关于社会介入性项目,本身就存在着非常不同的介入思路及态度,或者说一些技巧。“铜元局”说起来已经实施了近两年了,它本身就是一个不断修正和发展的过程,因为现场是正在发生中的进行时,这意味着艺术家需要有敏锐的嗅觉来判断和调整自己的作品方向。就实质而言,艺术家在公共环境的作品实施都是某种程度的‘植入’,如何来把控和调整它,非常的重要。
王海川:谈到这个问题,我觉得肯定要谈。因为我们的框架,对象已经确定了以后,你的方法实际上就显得很重要了。这种方法其实也是慢慢形成的。就比如说我最早实施的‘送照片’那个行为,就现场的控制而言,事后我觉得不是很好,但是我直觉感觉到这就是一个测试。实际上我觉得我后来的一些项目,都是围绕它来展开的。就是说我,作为一个艺术家,用一些类似艺术的方法来介入到他们的日常生活环境里,他们的反应是什么。就实质而言,我们现在的状况都是被塑造的结果,相比较而言,他们在工厂里,被塑造和被规训的结果就更加的明显,而且(按照)他们的年龄结构、他们的经历来说,已经很难再改变。所以可以说,这个国家已经对这些人有过测试和改造了,我希望我可以通过我的一些方式,对于这些已经被测试过的人和事进行进行再测试,我想看到当初造成他们这种反应的原因在哪。有这个考虑后,我用的方法就更多的是测试。
倪昆:那关于测试的后续,你是怎么处理的,比如说会不会把这些收集的结果作为一些新的作品的起点,比如说作为这个项目的背景说明什么的。
王海川:这个会做的。我补充一下,就是你说的现场测试的结果,有的结果我觉得它不一定要被完全记录下来,也没法记录,有的时候你没条件记录。但是这种结果它肯定会有,比如说当时旅行计划里边出现第一天的哄抢情况,到第二天的自觉维护,它实际上就是测试的一个结果。因为实际上如果我们只进行一个环节的话,那么你就只会看到哄抢而看不到自发的维持次序。关于这个测试应该会一直做下去的,比如说接下来的‘还建房’计划,也是在这个框架下。
倪昆:这个是怎么一个实施情况呢?
王海川:我计划把我设计的家具放到他们的安置还建房现场,这些家具的来源都是我在铜元局现场收集到的旧家具材料,有改装。计划送一套给一户人家,然后他们在里面生活一年,这一年我想测试他们对这种家具的反应。因为一年是一个长期的时间,不像我之前的‘旅行计划’,它只有两天。一年的时间可能会改变家具的形状,甚至直接的改掉,或者扔掉都有可能。当然也可能增加点什么。这个计划我会通过影像,图片的方式来记录呈现。
倪昆:家具都是改装过的?
王海川:是的。因为是要拿给她们直接使用,首先必须保留它们的功能,能用。这些家具可以说是一些集合体,都是他们曾经用过的,曾经看到的属于那个时代的东西,甚至有些是新的东西,被组合在一块。他们会对这个东西产生一些反应,我觉得会的。
倪昆:情绪上可能会回应。
王海川:对,从情绪上他会用的。但是也很有可能在用的过程中会变得很奇怪,有可能最后家具中放的是完全我们现在不能设想的东西,对不对?还有这个家具,它本身就是一个拼贴的产物,它一半的材料来自以前开会看电影时候的长椅,一部分就是家里的柜子,是之前的公共属性的东西和私人属性的东西的集合,我再把它放到私人环境里,也很想看到它会产生什么另外的东西。因为一年的时间很长,真说不定会产生变异,也许他会在上面贴很多其他的东西,或者做一些什么调整。我觉得他有他自己的一个思路。其实我在拍“16.9 m2”的时候,实际上每个家庭他都有自己的行为方式,这是长期的时间渗透下的结果,是平时我们教育里面可能不能体现的一种东西。
倪昆:这个很有意思。
王海川:是的,比较好玩。但是我的这个设定有自己很主观的想法在里面,虽然说给他的这些家具的基本元素还是他们原来生活里的一部分。
倪昆:是不是已经沟通好了,可以把他们放进去了。
王海川:是这样,这个事情有点小插曲。最初我是想找我认识的一个瞎子,他目前还住在铜元局的职工宿舍里,这个瞎子我觉得他很有意思,他是一生下来就瞎了,现在五十几岁,每天自己买菜,做饭。自己做清洁,家里非常的干净。因为瞎子的听力好,知道很多身边人的事情,同时也很愿意和我谈这些事情。就这样我们就比较熟悉了,就想,如果让一个瞎了的人来改变这些东西是不是会有更大的意外在里面。他是我考虑的人选之一。但是不幸的事情,他前一段时间疯掉了,现在去治疗了,可能要另外换人。所以这个计划也要推迟了。
倪昆:我们回到最初的话题拉继续聊。就身份而言,你在很多人眼里,首先是个画家,因为很长时间里都是以绘画为主,然后到现在,现在应该是一个艺术家的概念,这两点,刚才其实也谈到了,就是因为《铜元局》这个事情,我认为从这一点看,《铜元局》这个项目它拓展了你的艺术范围,我对于这些变化一直都很有兴趣,想请你再多谈谈。
王海川:我觉得绘画对我来说,绘它有两个问题,其一就是它的局限性,这一点大家都意识到了。第二个问题就是,绘画因为是手在控制,它有愉悦感,很容易让人陷进去而拔不出来。这种愉悦感实际上就有点像毒品,有点上瘾,上瘾了你就感觉很安逸,然后就会觉得,考虑这么多干嘛,享受它就可以了。其他的媒介,我之前都没有做过,实际上在考虑展开这个项目的时候,就开始觉得绘画已经不能表达了,所以到后来我会考虑用摄影,用到装置,做一些现场活动等。当你把这些事情拓展后,媒介我就觉得不再显得那么的重要了,就是一个工具,这么好用就用什么,你觉得应该用摄影,像“16.9 m2”,你就必须使用到它。因为只有这样才可以把这个马上要消失的现场给真实的记录下来。如果说活动你得跟踪,时间拉长了,就用介入的方法比较合适。媒介不是目的,只是达到目的手段。如果你的方式变成目的的时候,就是你在研究它了,是媒介语言内部的问题,是又一个陷阱。我是这样一个态度。
倪昆:也就是说目的明确了,手段就自然清楚了。
王海川:因为那些我们曾经认为的很前卫的媒介,其实到现在已经变成为一些很传统的方式了,我不考虑它的方式,目的才是主体。
倪昆:所以之后也出来了一些看不出是什么类型的作品,比如说“旅行计划”等。
王海川:对,那个旅行计划会被定义为什么我确实不关心,我就是觉得我应该去做,然后就邀请大家一块参加,去玩,等于说我自己组了一个团去铜元局旅游。这次实施我确实没有考虑过具体的什么媒介啊,方法啊,所以到再后来看到了柏林双年展上的情况,就特别的兴奋,因为发现有不少类似的实践也正在发生。
倪昆:是的。
王海川:其实这些是关于艺术边界的问题,你作为一个艺术家,在自己的道德框架内,你参与任何东西,它都是合理的。在这种条件下,艺术为什么不能够这样,为什么一定要出现规定的装置,一定要被分类才可以被阐释,我觉得至少我没有这么想过,但是看到了类似的东西出现还是蛮兴奋的。可能人家已经做了很久了,我没注意到它,从我的知识面上没接触到这个东西。当然我也是无意识的开始了我的这些实践,所以看到的时候,我就觉得说:哎,好啊。
倪昆:是的,就项目而言,其背后的线索和逻辑是非常重要的,就比如说测试是一个关键词,它就是你很多具体的作品实施的起点和基础。
王海川:是的,又说到铜元局旅行这个活动,它的结果和你在展厅里的装置,影像,或者任何一个东西比较起来,我都觉得目前的选择是最合适的。因为真正参加的人他的心理感受肯定会完全不同于一个展厅里所看到的移动影像,或者一个关于铜元局的介绍,因为你可以和人家交流,而且你可以串门,串到人家家里去看,去了解。这个我觉得,你要说和艺术有关,它肯定也有关,因为你艺术家的身份就决定了,你是以艺术这个方式来介入这个项目,而不是什么一个普通的文艺表演,一个春晚,元宵晚会什么的。所以我觉得从这个角度看,实际上我们提到的更多的可能是第一现场的问题,就是把第二现场,我们通常指的展厅这个现场,给直接发生在第一现场了。所以后来做的一些活动,就是趋向于第一现场的东西。
倪昆:“铜元局”项目有没有一个明确的时间表,另外关于不同阶段的工作计划,有没有一些在日程上的安排。
王海川:你说到时间表,或者《铜元局》它什么时候开始我可以说,但是什么时候结束,我觉得可能永远也没有结束的说法,它在进行着。但“铜元局”只是一个载体,目前我是这样看的,有可能铜元局三年以后变成了一大片高档住宅,原住宅户被分配安置到各个社区,实际上,在物质空间上它就完成了自我的一个框架。但是在你的认识和思想上,这个框架可能是一辈子都在的。不过以‘铜元局’作为命名的这个项目,可能在那个时间是一个结束点。
倪昆:就说物理结束的时候。
王海川:对,物理结束的时候,因为对象已经很难去再把握,已经被融入到更大的一个社会里面去,你再去筛选它的这种特殊性、阶层性很难的,可能我会用类似的方法来分析其他的社群。比如说前段时间我去香港,看到香港特别老的那种住宅区域,他们那种生活状态,比如说钵兰街,那一片很老,他们又不搬,并且形成了他们的一种文化景观,这些东西会是我将来的工作吧。
倪昆:以前很多大城市里出现的城中城也是很特殊的现象。
王海川:对,这也是我比较感兴趣的。因为他们也是另外一群在制度下的群体,有很多可以讨论的话题。另外,因为我经常去日本,发现他们那种私有住宅和社区,传统间的关系,也很特别。比如说我在京都就有留意到在西面的一个区域,那里居住的基本上都是日本的传统手工、织工、织布,也就是和服制作的产业链上的工人全聚居在那儿,他们有自己的文化,有自己的社会沟通方式,还有他们与其他区域发生关系时的状态,都是比较有意思的内容。
倪昆:但这种你计划的在异地的项目,在实际操作上应该存在很多困难吧。
王海川:难肯定难嘛,条件具备的时候就开始做,还没准备好的时候就经常关注。上次我去日本的时候也有遇到一个朋友,他在日本是专门研究这个东西的,他是以社会学的方式,用福柯的一些概念来研究这种社会边缘人群。我想大家可能存在一些交叉的地方。所以主要还是自己怎么来考虑自己将来的工作,操作方法上可以很灵活,短期可以有短期的作品,长期应该有长期的打算,就是这样。
倪昆:说到方法,其实具体下来就变成不同阶段的一些作品。关于作品的媒介选择和分类,不同作品会存在不同的方法的。关于这点,具体到你的项目时,有没有一些很明确的态度。
王海川:我还是把它模糊化,模糊化实际上不是说选择时的不明确,我觉得还是根据你的结构来放,合适的判断会出现在合适的时间点上,至于说边界在哪,这个只能凭自己的感觉来判断。
倪昆:对,应该是这样,它是应该还原到现场来再考虑的一个事情,这也需要有大量的筛选及准备工作。这和只是在工作室的创作还不一样。
王海川:不一样,我觉得还是框架决定你的工作方式,肯定是这样。你说的就是这种筛选和准备工作,为什么我觉得必须花很长的时间来收集整理和准备这个东西,其实在进行中就很自然的认为就是应该如此,不能说你觉得哪个东西有价值,哪些没价值,我觉得所有的准备都是有价值。你每天去和他们聊两句话都是有价值的,但是不一定最后以作品方式呈现,有的东西无法呈现,无法表述,也无法分享,所以这个就实际上是各种得到的内容的综合,并且每个东西都可能是最有价值的。
倪昆:你的这些作品实践中有很重要的一个基因,就是它的时间性,这非常的重要,也只有如此,这个项目才足以完成它关于讨论主体的再塑造。另外,我还有一个疑问,也是关于作品的具体实施是,因为我们都是经历过美学训练的,通常会很自然的把这种气质带到现场里来,但是如果把握不好就会成为某种突兀的景观,关于这一点,我本身是很反对的,你在具体的作品实施时,对于这一点是这样的态度,会怎样来处理。
王海川:我想你具体指的应该是我那件马上就要实施的作品吧,是的,我会在铜元局的原厂区修建一个两米高度的类似于井的圆柱体,我还没想好它应该起个什么名字,不过我觉得它现在的出现是合适的。为什么这样判断,是因为我现在和那些居民的关系足以让他们参与到这个作品,这会改变关于景观的判断。我是想让他们,甚至我在里面和他们聊这些,甚至让他们自己来一个,甚至他们在里面就是发发牢骚,我觉得都是很好的一个东西。最初我有这个想法就是想把这做出有点仪式化宗教化的东西,因为每次我去铜元局回来的时候都会看到一个奇怪的现象,就是不断的有人晚上在路边插香烧纸,还有在空壳的房屋外涂鸦一些怪兽,我觉得民间有这个东西,你说是封建迷信也好,宗教仪式或祭奠仪式也好,它有着一些宗教的功能,但是不是一个明确的我们熟知的佛教什么。它是一种需要,一个通道,因为通过这可以把那些没法去倾诉,没法去沟通的东西给释放出来。所以我就给他们提供一个这种东西,他们进去了可以直接看到天空,其实也就是直接面对自己。而且这也是一种测试,测试他们对新出现的这个结构,会不会把这个东西完全当成一个仪式来做,我是想看看会不会有这个结果。
倪昆:那计划是7月份吗?还是再晚一点?
王海川:最近。现在就是联系我这测试的一些场地,场地联系了马上就进行,完了然后跟着拍两天,等有空就过去,然后约一些比较熟的那种居民一块儿去,就这样。
倪昆:好的,那到时候去现场看。
王海川:好的
王海川:《铜元局摄影项目——关于图像的平等》
上海激烈空间报告
我从2009年开始做这个关于重庆本地的项目。今天我大致谈一下这个项目的背景和做过的一些项目。后面会着重讲2013年开始的和当地居民共同创作和完成的一个关于图像的项目。
这就是这个项目具体的位置图,这个片区以前它是作为三线建设时期的一个兵工厂,建于50年代。
我接触这个项目的时候,工厂已经完全拆除,剩下的只有职工住宅。我最早是用绘画方式对这片区域进行描绘,这个阶段很短,2009年底到2010年初,开始接触到他们本地的一些居民,才萌发了以此为主题进行创作的念头。起初和很多艺术家一样,对表面的现象感兴趣,一个年代在“被消失”的过程中所留下的一些建筑外观及内部。这部分就是前期这几年我以“田野调查”方式进行的纪录。他们现在都是待迁户,需要搬离这个片区,因为这个片区已经被规划为商业住房用地。但搬迁条件政策不合理是他们在这里当“钉子户”的唯一原因。这些记录包括了照片和影像,我想这个过程为我日后的铜元局项目提供了很多基础资料,也为更加深入研究集体主义在遭遇现代性对于人的影响提供了依据。
这都是影像,因为时间关系我大概说一下就过了。这是他们日常的一些业余生活,因为他们有些是下岗的工人,也就是说他们是没有工作,失去工作的一部分人。
然后这组是我在2010年拍的, (16.9M²项目)。关于他们家庭内部的一些图像。我们现在看到的照片是比较清晰的,光线很充足,但实际情况是很暗的。我摄影的时候是全部用了灯光的,图片和现场是一种矛盾的真实。
第二个是(旅行项目)。因为和他们相处得比较融洽,就在2012年的年底元宵节的时候,做了一个关于旅行的活动。当时我觉得,我花了两年的时间去了解这个片区,但是我周围的朋友,包括艺术家他们对这个片区的了解是非常少的,这是现状。元宵节对中国来说是一个传统的节日,在这个时候很多人往往会串门,但是很多人本地的人因为经济原因,要被拆迁的原因,就走不了,我说干脆在当地做一个旅游的点,让外面的朋友,包括一些艺术家,一些其他行业的人到那个地方去旅游。现在到处在流行一些复古街,仿古建筑,建筑师以商业体来重建的一些古旧建筑。我觉得若干年以后,有可能这个地方会进行着同样的事情。本来有一个影像,今天不能播放。元宵节活动进行了两天,这两天对当地的居民来说,还有对前去旅游的我的一些朋友来说,他们应该收获很多。 当时原本组织了在餐馆用餐,但我还是决定在住房外大空地上吃饭。这样当地居民和外来的一些朋友可以在这个场域里相互沟通和交流。两天大活动有很多意外的事情,挺有趣的。比如说他们中间发生带食物回家,并在他们中议论和纠正这件事;比如说他们自己在布置的房间里开始跳舞……
然后也做了一些其他的活动。这是和“器空间”合作的一个(T1 PROGET ROOM),居民给我们提供了3间活动的房屋,我们可以在里面做一些艺术活动,现在还可以随时去。
这是去年1月份做的(不适的现场)活动,这个项目我故意为邀请来的每个艺术家设计了一个单独的海报,来强调一种个体身份。因为个体能与一种集体主义现场产生一些碰撞。这是艺术家余果做的“红线”作品,有些朋友可能看到过,我觉得是比较好的一个作品。这是一个艺术家所做的一个关于集体创作的一个作品。这是当时一位艺术家参与的一些现场的行为。
好!我开始讲我去年下半年开始的一个关于图像的项目—--铜元局艺术辅导项目,我想教铜元局本地的一些居民拍摄,因为现在他们没有工作,时间比较充裕,但都用来打麻将。这个想法的诞生和我当时拍的摄影项目有一定的关联。当时拍照片的时候,他们本地的居民大部分是很配合的,允许我进到他们家里面拍摄,但是有一些居民他是不愿意,他认为他的家太破烂了,他不愿意把这种破烂展示出来。照片出来以后,又拿去参加了一些艺术的展览,放在美术馆里的时候,我觉得图像本身存在一个道德的问题。所以就有了我后来的这个计划-图像的共同生产,试图把图像的权利交给他们。计划初期我就做了摄影课,教他们如何使用摄像器材,后来发现他们拍的东西都非常棒,这两张摄影都是他们自己拍的,上面的中年妇女她拍的影像也非常棒。
我会把这个项目进行下去,让他们继续使用相机,我只是每次去给他们更换胶卷。而通过与他们之间交流,拍摄下的作品,跟他们自己拍出来的是不一样的,尤其是人像摄影。所以后来我在想,我拍了这么多东西,最后是用来干嘛,他自己们拍的东西的价值可能更有意义。所以我通过刚才介绍的一些项目,我发现最后受益的可能是我自己,它们改变了我自己的认识。其他的我觉得不是很重要,比如说要把这个项目介绍到什么什么地方,或者参加什么重要的展览这些。
这是他们和我共同完成的一个影像作品。大概有7个片断,我把这个片断的名字叫做“七天”。第一个是他们杀猪,他们因为有多余的空间,就拿来养猪,养肥了就自己杀着吃。这是我拍的。第二天是我和他们当地人各拍了一天,关于一个长者的葬礼。第三天是一个老工人的女儿出嫁的婚礼。这个是他们拍的。第四天是一个退伍军人,也是他们厂里的职工,在边做一个工具边讲述他的故事。第五个是一个妇女,她自己拿着摄像机,从家里一直走到附近的菜市场,整个有半个多小时吧,没有停机,一口气拍完的,我觉得非常好的一个片子。第六天是他们厂里面的,我觉得是音乐家,他演奏的他们那个时代的音乐。最后一天是家庭教会的祷告。
目前主要是在进行这些东西,接下来是和徐浪他们共同完成的铜元局的测绘项目。以及在测绘的基础上,我是想做一个规划和设计项目,让其他的建筑师或者艺术家,甚至其他学科的人参与到这个项目里面,我提供一些基础的资料,他根据一些资料做一些他想象中的铜元局的一个东西。这是一个比较开放的也是一个比较好玩的一个项目。这是我们做的一些基础的资料。这是我正在做的一个关于家庭设计的一个项目,现在做了一部分,可能今年会把这个项目在铜元局本地的还建房里面实施出来。好,这就是我今天给大家介绍的内容,谢谢大家!
铜元局:作为方法和想象的艺术生产
Tong Yuanju:Art Production as Method and Imagination
文/倪昆
引言:
艺术家王海川自2009年开始的在地艺术介入项目“铜元局”,所关联和搭建的对话场域,简单说来,可以在“在建的城市及城市文化”及“待观看审视的当代艺术实践”之间,进行着粗放的描述和讨论,一个基础话题在于如何看待和认识当前正处于转变期阶段的当代艺术生产以及当代艺术实践与“城市文化/当代文化”之间的书写关系,前提障碍将落在,当代艺术在消费领域所获得的合法身份以及由此而造成的当代艺术实践向大众文化场域的滑落,艺术实践的流行文化、审美趣味化成为主流,艺术生产趋同于消费生产。也因此,落在此主流形态之外的艺术实践将获得和承担当代艺术生产的最积极而活性的部分,艺术实践之于语言与媒介的实验性探索,艺术生产方式和结构的运动重组,都将成为重要的讨论和观看内容。
作为以具体的城市局部社区为艺术项目对象的“铜元局”,可粗略分为三个阶段,2010年前的审美性遭遇,2013年前的介入性艺术生产,到现阶段的艺术生产方式、结构的开放性实践/实验。“遭遇—介入—结构实践”伴随时间而递进,艺术生产之“边界与想象”则成为核心建构内容。具体而言,“遭遇”阶段的审美性表述以绘画,摄影为主要媒介及手段;“介入阶段”的社会学及观念文本导入表现为田野调查,纪录片,行为,装置,观念艺术的混合运用;‘结构实践’时期的复合型艺术生产主要有艺术家自主策展与实践,艺术活动与在地社区互动(艺术教育项目“铜元局艺术辅导计划”),跨界合作及对话(艺术家与建筑师合作发起的Mapping Project)等。在时间轴线的推动下,展开的是不断进行的关于艺术与语境,艺术与文化生产之间的否定性书写,阶段性重点作品(项目)有“铜元局-16.9m²”(2011)、“铜元局-旅行”(2012),以及2013年12月与重庆器·Haus空间共同发起的“T1 Project Room:铜元局活动室”计划等。
在具体谈论“铜元局”项目之前,作为一个长期艺术项目,一个亟待讨论的普遍性问题就是艺术实践与在地社群之间的关系问题。显性的逻辑通常是强调艺术实践与在地社群间的互动,强调艺术创作/艺术活动的在地连接,或者是通过局部的艺术生产来尝试进行某种乌托邦实验,而当前中国这个巨大而内容复杂丰富的社会现场,也在回应和强调着关于内容讨论的重要性——不论是对泛意识形态化社会现场的批判,还是对于城市化进程中的全民消费化之景观的反思。如果我们以此为对象来建构我们的生产,那么我们的工作也就更接近或是类似于艺术家自主发起的微观政治实践,也就是针对社区问题的民主艺术化讨论。显而易见的结果是,艺术在此将被视为方法,或是通道,内容和对象才构成项目讨论的主体。也因此,把类似于这样的项目放在社会学的维度来展开讨论将是更恰当的选择。而个体艺术家在此期间的具体实践将回到艺术家的自有脉络中,并在时间的贯通下形成上下文关系进而展开具体的个案讨论。
新的问题在于,既然介入性项目中艺术实践是项目的构成主体,那我们如何来看待和思考,哪怕仅仅只以“方法或者通道”形式存在的艺术生产。(当然,长期性的艺术家个案性研究是一种良性和普遍意义上的审视手段,但是如果我们把视角落在大写意义上的艺术实践与现实语境这样一个框架时,那么,具体的个案研究不足以支撑某种普遍性的思考)。我们是否应该可以就“方法”和“内容”本身展开思考,以“方法”来建构新的文化现场,而非以“内容”作为主体来就现实进行回应。那些,来自“方法”的实验性态度将成为必须和唯一的选择,(因为只有以此为契机,艺术生产才有可能逃离“内容”的桎梏,而不会因为“内容”的明确而直接被其吞噬)。“边界和想象”则是新的,重要的思考和行动实践的方向。具体而言,“边界”可粗略对应于与“语境/媒介/跨媒介”有关的源自艺术内部线索的艺术实践,“想象”则涉及“创新”,特别是“社会模式创新”等。一个是建立在具体语境遭遇下的“语言/媒介”之可能性的探讨及拓展,另一个则是强调结构,模型,在运动中所建构起的因跨领域对话而产生的意料之外的‘新’的思维和模式,它是动态的存在。也因此,它们注定和已经堕落至大众文化场域的遵循消费主义趣味的艺术无关,也和长期存在的由“艺术工具论”所指导发展出的艺术无关,更和强调身份,策略,话题的方法性艺术无关,它源自艺术的本源思考,强调和重续艺术生产与社会革新之间的纽带。它的行动将先于现状,价值应落在将来。
介入性艺术生产应该是关于时间与空间的再生产,这是一个前提,而不应该是对于具体社区的某些“特殊内容”在艺术方式上的回应。在“铜元局”项目现场中,当我们以时间的线索对它进行观看时,项目早期的,来自审美性遭遇的艺术家实践和我在此谈及的介入性艺术生产无关,它只是一个契机,一个由此把艺术家引导至项目现场的外部原因。项目的发酵转变来自第二阶段,此阶段重要的变化在于社会学意义上的“田野调查/现场记录”的导入,观念艺术及多媒介艺术实践则是重要的艺术工作方式。其中,艺术家提出了一些建立在长期调研基础上的关键词,比如“集体主义时期的建筑与生活方式/测试”等,艺术家尝试着以艺术实践为纽带,以被提炼的观念艺术作品为手段,通过具体的作品实施来和在地的社区及社区居民建立互动,并且把这种通过作品所建立起的关系称为“测试”:一种双向存在的,在艺术家与社区居民之间的,因艺术家的在地行为和创作而连带出来的双向反应。在作品“16.9m²”(2011年,摄影/行为)中,艺术家通过对铜元局生活社区的集体主义建筑的标准间的测量,以所获得的单户家庭居住面积为创作出发点,对当时正处于拆迁阶段的住户以“家庭/客厅”为单位进行标准化摄影,最后再把所拍摄的摄影作品送还至原住户。在这件作品中,艺术家通过类型学的方法,以摄影媒介作为联系纽带,通过前期调研、拍摄、照片发送,与社区居民共同建立起一个临时性空间,我将之称为“临时共同体”。“临时共同体”的出现是一个重要的标志,它意味着跨群体(身份)人群纽带的被确立,艺术项目在此开始真正深入到社区内部,艺术实践从之前的单方向表述转为强调互动的关系型艺术。关系型艺术所强调的互动和对话也即意味着艺术实践在社会学维度的强调。在此,艺术实践和社区社群之间,语言/媒介与对象之间,存在着内容巨大而方向迥异的思考和可能,而艺术家的立场和选择将直接决定了介入性艺术项目的价值标准和走向。
以观念艺术形态出现的策划型作品“旅行”,在概念上延续了艺术家关于“测试”的持续讨论,艺术家邀请部分城市居民(非铜元局当地居民),在2012年的元宵节对铜元局片区展开同城“旅游”:一方面,艺术家以导游的身份带领他们对这个正趋于消失的社区展开走访式观看;另一方面,艺术家邀请当地居民,以“节庆日”/“旅游”为由头,安排组织坝坝宴、用喷绘图片在闲置废弃的标准间里布置类似于摄影棚的风光场景,来打造一个符合铜元局居民想象之上的“旅游”之境。普通城市居民的温暖型人文状观光,在地居民的“节日”狂欢(以及他们因为需要维持此种“欢乐”而自发形成的次序现场),所连接呈现的是一个彼此都不在场的对望,而这也恰恰可以看成为是艺术家在搭建起“临时共同体”之后的,就其细节构成而展开的具体化/细节化的对话及追问。
2013年12月开始的“T1 Project Room:铜元局活动室”计划,可以看成为是‘铜元局’项目在此基础上的再推进,项目分为明确的两个方向:在地性与实验性。以强调在地连接为目的的艺术教育类项目“铜元局艺术辅导计划”;以艺术的实验性实践为基本出发点的“铜元局活动室”;以强调跨学科合作进而尝试着对话模式创新的“Mapping Project”等。其中,作为实体存在的“铜元局活动室”是所有项目的核心和中轴点:艺术家与器·Haus空间共同在铜元局项目现场,借用并改造两处待拆迁的标准住房(一处两套,每套约16.9m²),分别改造为临时替代性空间和艺术家临时工作室。所有的艺术实践(项目/活动)将依托此活动室而具体展开。“作为方法和想象的艺术生产”将是本阶段重要的艺术实践方针,实验性艺术的实践,跨媒介跨学科下的可能存在的新模式/新工作方法的探索,都将是接下来最重要的工作内容。作为被主动植入的替代性空间,“铜元局活动室”的存在将极大的支撑艺术家自主策划/策展项目在社区现场的实施,该项目第一阶段的工作已经开展,目前已实施的有:论坛“媒介,语境,空间生产”、媒介,方式和行动”,自主策展项目“不适的现场:时态第五回”、“摄影课-铜元局艺术辅导项目”,以及不同艺术家在社区现场的个人实践,比如艺术家刘伟伟的“局外制造”(装置/行为)、余果的“红线”(行为/录像)、蔡青/蔡伟的行为艺术作品“人为压力”、何玲的“铜元局285号的40块砖”(行为)等。本阶段整体项目预计于2016年结束。
“T1 Project Room:铜元局活动室”计划的开启意味着更新一轮思考的开始,回到艺术,回归实验,是行动,也是期待。时间的叠加会慢慢地归纳出一些内容,而相对于艺术实践的否定性的存在,来自艺术生产方式与结构上的重组创新,则是更大的挑战。也因此,关于本阶段工作的价值讨论将落在将来,行动是现今最重要的工作。
Tong Yuanju:Art Production as Method and Imagination
文/倪昆
引言:
艺术家王海川自2009年开始的在地艺术介入项目“铜元局”,所关联和搭建的对话场域,简单说来,可以在“在建的城市及城市文化”及“待观看审视的当代艺术实践”之间,进行着粗放的描述和讨论,一个基础话题在于如何看待和认识当前正处于转变期阶段的当代艺术生产以及当代艺术实践与“城市文化/当代文化”之间的书写关系,前提障碍将落在,当代艺术在消费领域所获得的合法身份以及由此而造成的当代艺术实践向大众文化场域的滑落,艺术实践的流行文化、审美趣味化成为主流,艺术生产趋同于消费生产。也因此,落在此主流形态之外的艺术实践将获得和承担当代艺术生产的最积极而活性的部分,艺术实践之于语言与媒介的实验性探索,艺术生产方式和结构的运动重组,都将成为重要的讨论和观看内容。
作为以具体的城市局部社区为艺术项目对象的“铜元局”,可粗略分为三个阶段,2010年前的审美性遭遇,2013年前的介入性艺术生产,到现阶段的艺术生产方式、结构的开放性实践/实验。“遭遇—介入—结构实践”伴随时间而递进,艺术生产之“边界与想象”则成为核心建构内容。具体而言,“遭遇”阶段的审美性表述以绘画,摄影为主要媒介及手段;“介入阶段”的社会学及观念文本导入表现为田野调查,纪录片,行为,装置,观念艺术的混合运用;‘结构实践’时期的复合型艺术生产主要有艺术家自主策展与实践,艺术活动与在地社区互动(艺术教育项目“铜元局艺术辅导计划”),跨界合作及对话(艺术家与建筑师合作发起的Mapping Project)等。在时间轴线的推动下,展开的是不断进行的关于艺术与语境,艺术与文化生产之间的否定性书写,阶段性重点作品(项目)有“铜元局-16.9m²”(2011)、“铜元局-旅行”(2012),以及2013年12月与重庆器·Haus空间共同发起的“T1 Project Room:铜元局活动室”计划等。
在具体谈论“铜元局”项目之前,作为一个长期艺术项目,一个亟待讨论的普遍性问题就是艺术实践与在地社群之间的关系问题。显性的逻辑通常是强调艺术实践与在地社群间的互动,强调艺术创作/艺术活动的在地连接,或者是通过局部的艺术生产来尝试进行某种乌托邦实验,而当前中国这个巨大而内容复杂丰富的社会现场,也在回应和强调着关于内容讨论的重要性——不论是对泛意识形态化社会现场的批判,还是对于城市化进程中的全民消费化之景观的反思。如果我们以此为对象来建构我们的生产,那么我们的工作也就更接近或是类似于艺术家自主发起的微观政治实践,也就是针对社区问题的民主艺术化讨论。显而易见的结果是,艺术在此将被视为方法,或是通道,内容和对象才构成项目讨论的主体。也因此,把类似于这样的项目放在社会学的维度来展开讨论将是更恰当的选择。而个体艺术家在此期间的具体实践将回到艺术家的自有脉络中,并在时间的贯通下形成上下文关系进而展开具体的个案讨论。
新的问题在于,既然介入性项目中艺术实践是项目的构成主体,那我们如何来看待和思考,哪怕仅仅只以“方法或者通道”形式存在的艺术生产。(当然,长期性的艺术家个案性研究是一种良性和普遍意义上的审视手段,但是如果我们把视角落在大写意义上的艺术实践与现实语境这样一个框架时,那么,具体的个案研究不足以支撑某种普遍性的思考)。我们是否应该可以就“方法”和“内容”本身展开思考,以“方法”来建构新的文化现场,而非以“内容”作为主体来就现实进行回应。那些,来自“方法”的实验性态度将成为必须和唯一的选择,(因为只有以此为契机,艺术生产才有可能逃离“内容”的桎梏,而不会因为“内容”的明确而直接被其吞噬)。“边界和想象”则是新的,重要的思考和行动实践的方向。具体而言,“边界”可粗略对应于与“语境/媒介/跨媒介”有关的源自艺术内部线索的艺术实践,“想象”则涉及“创新”,特别是“社会模式创新”等。一个是建立在具体语境遭遇下的“语言/媒介”之可能性的探讨及拓展,另一个则是强调结构,模型,在运动中所建构起的因跨领域对话而产生的意料之外的‘新’的思维和模式,它是动态的存在。也因此,它们注定和已经堕落至大众文化场域的遵循消费主义趣味的艺术无关,也和长期存在的由“艺术工具论”所指导发展出的艺术无关,更和强调身份,策略,话题的方法性艺术无关,它源自艺术的本源思考,强调和重续艺术生产与社会革新之间的纽带。它的行动将先于现状,价值应落在将来。
介入性艺术生产应该是关于时间与空间的再生产,这是一个前提,而不应该是对于具体社区的某些“特殊内容”在艺术方式上的回应。在“铜元局”项目现场中,当我们以时间的线索对它进行观看时,项目早期的,来自审美性遭遇的艺术家实践和我在此谈及的介入性艺术生产无关,它只是一个契机,一个由此把艺术家引导至项目现场的外部原因。项目的发酵转变来自第二阶段,此阶段重要的变化在于社会学意义上的“田野调查/现场记录”的导入,观念艺术及多媒介艺术实践则是重要的艺术工作方式。其中,艺术家提出了一些建立在长期调研基础上的关键词,比如“集体主义时期的建筑与生活方式/测试”等,艺术家尝试着以艺术实践为纽带,以被提炼的观念艺术作品为手段,通过具体的作品实施来和在地的社区及社区居民建立互动,并且把这种通过作品所建立起的关系称为“测试”:一种双向存在的,在艺术家与社区居民之间的,因艺术家的在地行为和创作而连带出来的双向反应。在作品“16.9m²”(2011年,摄影/行为)中,艺术家通过对铜元局生活社区的集体主义建筑的标准间的测量,以所获得的单户家庭居住面积为创作出发点,对当时正处于拆迁阶段的住户以“家庭/客厅”为单位进行标准化摄影,最后再把所拍摄的摄影作品送还至原住户。在这件作品中,艺术家通过类型学的方法,以摄影媒介作为联系纽带,通过前期调研、拍摄、照片发送,与社区居民共同建立起一个临时性空间,我将之称为“临时共同体”。“临时共同体”的出现是一个重要的标志,它意味着跨群体(身份)人群纽带的被确立,艺术项目在此开始真正深入到社区内部,艺术实践从之前的单方向表述转为强调互动的关系型艺术。关系型艺术所强调的互动和对话也即意味着艺术实践在社会学维度的强调。在此,艺术实践和社区社群之间,语言/媒介与对象之间,存在着内容巨大而方向迥异的思考和可能,而艺术家的立场和选择将直接决定了介入性艺术项目的价值标准和走向。
以观念艺术形态出现的策划型作品“旅行”,在概念上延续了艺术家关于“测试”的持续讨论,艺术家邀请部分城市居民(非铜元局当地居民),在2012年的元宵节对铜元局片区展开同城“旅游”:一方面,艺术家以导游的身份带领他们对这个正趋于消失的社区展开走访式观看;另一方面,艺术家邀请当地居民,以“节庆日”/“旅游”为由头,安排组织坝坝宴、用喷绘图片在闲置废弃的标准间里布置类似于摄影棚的风光场景,来打造一个符合铜元局居民想象之上的“旅游”之境。普通城市居民的温暖型人文状观光,在地居民的“节日”狂欢(以及他们因为需要维持此种“欢乐”而自发形成的次序现场),所连接呈现的是一个彼此都不在场的对望,而这也恰恰可以看成为是艺术家在搭建起“临时共同体”之后的,就其细节构成而展开的具体化/细节化的对话及追问。
2013年12月开始的“T1 Project Room:铜元局活动室”计划,可以看成为是‘铜元局’项目在此基础上的再推进,项目分为明确的两个方向:在地性与实验性。以强调在地连接为目的的艺术教育类项目“铜元局艺术辅导计划”;以艺术的实验性实践为基本出发点的“铜元局活动室”;以强调跨学科合作进而尝试着对话模式创新的“Mapping Project”等。其中,作为实体存在的“铜元局活动室”是所有项目的核心和中轴点:艺术家与器·Haus空间共同在铜元局项目现场,借用并改造两处待拆迁的标准住房(一处两套,每套约16.9m²),分别改造为临时替代性空间和艺术家临时工作室。所有的艺术实践(项目/活动)将依托此活动室而具体展开。“作为方法和想象的艺术生产”将是本阶段重要的艺术实践方针,实验性艺术的实践,跨媒介跨学科下的可能存在的新模式/新工作方法的探索,都将是接下来最重要的工作内容。作为被主动植入的替代性空间,“铜元局活动室”的存在将极大的支撑艺术家自主策划/策展项目在社区现场的实施,该项目第一阶段的工作已经开展,目前已实施的有:论坛“媒介,语境,空间生产”、媒介,方式和行动”,自主策展项目“不适的现场:时态第五回”、“摄影课-铜元局艺术辅导项目”,以及不同艺术家在社区现场的个人实践,比如艺术家刘伟伟的“局外制造”(装置/行为)、余果的“红线”(行为/录像)、蔡青/蔡伟的行为艺术作品“人为压力”、何玲的“铜元局285号的40块砖”(行为)等。本阶段整体项目预计于2016年结束。
“T1 Project Room:铜元局活动室”计划的开启意味着更新一轮思考的开始,回到艺术,回归实验,是行动,也是期待。时间的叠加会慢慢地归纳出一些内容,而相对于艺术实践的否定性的存在,来自艺术生产方式与结构上的重组创新,则是更大的挑战。也因此,关于本阶段工作的价值讨论将落在将来,行动是现今最重要的工作。
铜元局:可再生的样本
Tong Yuanju:A Renewable Sample 文/张慧 引言: 王海川对铜元局的关注是从2007年开始的,围绕铜元局所进行的艺术实践主要分为三个阶段:2007年至2009年以铜元局居民楼建筑为母题的绘画创作为主;2010年至2012年,王海川开始走进铜元局现场,注重互动与测试,做了一系列与铜元局居民和现场相关的介入性艺术项目;自2013年底开始,王海川与器空间共同发起“铜元局活动室”项目,使更多的人参与到计划中,丰富了铜元局的活动内容,同时为艺术的发生提供了更多的可能性。 旁观铜元局 刚到铜元局时是一个雨后的下午,在南方最难捱的1、2月份里,蒙蒙小雨后的重庆显得更加灰郁清冷。刚下飞机便马不停蹄地与王海川前往他的“研究基地”—--铜元局。王海川当起导游,一路介绍重庆近几年的发展,以及铜元局的历史变迁。车子行至一座高架桥时,王海川说在这里可以看到铜元局的全貌,揣着对在高架桥上是否可以停车的疑虑走下来,视野果然非常开阔,铜元局就在高架桥下,一簇簇青瓦楼顶点缀在郁葱的树木之中。 铜元局位于重庆市南岸区西南部,距离市政府仅两千米的距离,是重庆地段比较好的区域之一,辖大田坝、桐梓村、广东山、芭蕉湾、长江新村、风临洲、上海城7个社区。铜元局在1905年之前名为南岸苏家坝,清朝的厂名大多以“局”为尾,光绪年间四川总督被授权在此建厂铸造铜币,名为铜元局。后来由于军阀混战,军备缺乏,被改装为枪弹生产设备,并于1930年改名为二十一军子弹厂。解放后,经过在原基础上的不断扩建,作为兵器工业总公司下属的一类大型国营企业在三线建设时期发展迅速,全厂拥有机械设备2000余套,占地面积200万平方米,员工11万余人,重庆的第一台国外设备从这里引进。1980年军转民;2001年长江电工厂迁址南岸区茶园工业园区并与香港融侨集团签署土地置换协议,拆迁工作至今尚未完成。 王海川的很多艺术活动集中在铜元局铜建村,与这里的居民也最为熟识,他们多为长江电工厂的退休职工及家属。这里的建筑多是红砖青瓦的筒子楼,是在1950年代初期依据苏联专家设计的图纸建造的。在那个时期,全国各地都出现了不少这样的筒子楼建筑,但现在大多数已被拆迁,筒子楼作为那个特定时期集体主义生活和生产方式的产物正在成为那一代人的记忆和遗产。走在村中泥泞的小路上,随处可见已搬迁走的居民留下的大堆生活垃圾和“拆迁区域,注意安全”的警告牌。好在还有一部分未搬迁的住户坚守阵地,给几近空楼的社区保留有一点生气。 王海川以铜元局为主题和现场的艺术活动大致分为三个阶段:2007年至2009年是以铜元局居民楼建筑为母题的绘画创作为主;2010年至2012年,王海川开始走进铜元局现场,注重互动与测试,做了一系列与铜元局居民和现场有关的介入性艺术项目;自2013年底开始,王海川与器空间共同发起“铜元局活动室”项目,使更多的人参与到计划中,丰富了铜元局的活动内容,同时为艺术的发生提供了更多的可能性。 铜元局进入王海川的视野与他之前所从事的职业有着密不可分的关系。2007年以前,王海川开有一家景观设计公司,从事了8年的景观设计工作,因此,对城市居住环境和建筑的变迁他比旁人更敏感。关闭公司后,王海川重拾画笔,在他的绘画中,铜元局并不是简单的写生素材,而是渗透着浓厚的人文关怀,他所关注的不仅仅是铜元局建筑的外观,更重要的是“人”与“居住”之间的关系。人的居住从来不是随心所欲的,不管是建国初期的低矮筒子楼建筑,还是今天拆了又建建了又拆的高档住宅区,人的居住一直被规划、被设计,而这些规划和设计背后的合理性与弊端,曾经作为建筑景观设计工作者的王海川更加清楚,这也是他将正当时的设计公司关闭的原因之一。 王海川的铜元局系列绘画常常被看做一种风景写生,但“人”的因素、“人”与“体制”之间的关系是以隐性和不在场的方式呈现的。作为一个冷静的旁观者,王海川以灰蓝冷色调表现铜元局建筑,朦胧的底色在艺术家与画面之间构成一种疏离,同时也在观者与画面之间构成一种疏离。这样的表现方式既是一种覆盖,又是一次清理,将明艳色彩清理之后,画面中的建筑与观者之间产生距离,形成记忆的一部分,同时远距离的旁观视角可以使画面中最本质的东西显现出来。“人”在王海川的绘画中是缺席的,不在场的,但人与居住,与规划,与体制之间的关系和艺术家的态度在经过对画面的清理之后已明确显现。 被测试的样本 从2010年开始,王海川不再将眼光只盯在铜元局建筑形态上,他开始接触那里的居民,跟他们聊天,了解他们的生活。渐渐地,王海川跟他们熟识起来,成了他们口中的“王主任”或“王老师”,他的创作方式也由架上绘画转向了综合性现场介入项目。这时期的主要艺术活动有2011年的“铜元局-16.9m²”和2012年的“铜元局-旅行”计划。 铜元局的居民对王海川的接触也是从“铜元局-16.9m²”活动才开始的,所以他们中的很多人一直将王海川视为摄影家。16.9m²是工厂职工宿舍的标准面积,很多家庭在这16.9m²的空间里生活了五六十年。王海川对生活在其中的居民做了大量采访记录,并以大照片的形式对16.9m²的房间做了记录和还原,然后他又将这些房间的“标准像”装裱后赠送给了照片中房间的主人或与之相关的人。就是通过访问和送照片的活动,王海川以摄影家或艺术家的身份成为铜元局的常客。 在架上绘画阶段,王海川是以旁观者的视角、审美的态度来看待铜元局,更多关注的是居住型建筑的形态和外观。当王海川试着走进铜元局,走进铜元局居民的生活时,艺术的生产和表达方式也在随时调整中发生变化。起初王海川只是单纯地收集一些与此相关的物件现成品,但随着调查的深入,更多有意思也更加复杂的东西开始吸引他:铜元局建筑群形态的形成,这种建筑模式背后所隐含的国家意识形态和规划的影响,人们在这种被设计和被规定的空间组合中长期生存而在不知不觉中被塑造的行为和观念方式。对这些问题的疑惑和追问也使得王海川由铜元局生活的观察者变成一线的实践者和调查者。 王海川将“铜元局-16.9m²”活动视作一种测试,一方面是对建国以来集体主义的教育和改造模式等国家意识形态对人们生活行为方式的塑造在今天的表现,另一方面,以类似艺术的方式介入到他们的生活中,看他们对超越他们日常生活以外的艺术观念所带来的冲突的反应。从这种意义上,铜元局已经成为一个艺术研究和测试的样本,王海川既是样本研究的主导者,又是参与者,同时还要适时地抽身出来以艺术家的视角对其进行分析研究,这时他又变成抽离了现场的旁观者。当把居民的反应作为测试对象时,事情就变得有意思起来。他们与大多数不了解当代艺术的人一样,认为艺术家等同于画家,艺术家就是画画的,但王海川的艺术行为却是以谈话、摄影、录像等形式进行的,尽管被告知这是一种艺术行为,但在他们那里,对这些除画画之外的艺术方式还是将信将疑,最起码测试的初期是这样。相较于装置和走访录像等艺术方式,与绘画比较接近的摄影是他们比较容易理解和接受的艺术行为,他们与王海川的熟识也是通过照相和送相片,并且,自己生活了几十年即将拆迁的房子被装裱进相框中,对于这种免费的纪念他们还是乐意去接受的。 在“铜元局-旅行”计划中,王海川同样运用了测试的方法。2012年元宵节,王海川及友人将铜建村的两排筒子楼房之间的空地上摆上桌椅、零食、自主饭菜等,挂上彩灯,将现场布置成小型party邀请附近居民共同庆祝。这主要针对铜元局居民春节期间无力外出旅行的现实问题,由艺术家发起并集资的方式,在铜元局拆迁无主房间内布置中外名胜旅游主题场景,举办“旅行计划”活动,让当地住户感受温暖阳光。活动海报上是这么写的:“让虚妄的温度给严冬中的蜗居者带去一丝暖意,这是一次奇异的旅行—--关于过往的,渐渐淡出我们认知的世界的旅行计划。”这样温情文艺的文字是艺术家美好的愿望,却处处显示出与铜元局的格格不入,破败的残垣断壁与临时搭建起的灯红酒绿形成强烈对比。在为期两天的“旅行”计划中,即使作为组织者的艺术家等人也并不能完全掌握整个局面,居民在其中的自发性反应构成活动的主要内容。活动第一天出现了哄抢食物的状况,并且在将食物打包的居民与没有抢到食物的居民之间出现口角冲突,现场比较混乱。但是活动第二天,一部分人开始站出来自发组织和维持现场秩序,并临时制定了一些需要遵守的简单规则,现场秩序井然,饭后居民开始在布景前拍照、跳舞。 这样的测试效果是显而易见的,在利益(可以免费吃喝)面前,对于铜元局的住户来说,是不是艺术活动这件事儿跟他们从来就没有什么关系,他们在意的是能否免费吃饱喝足,再美美地在不同国家风景的布景面前多拍点照片,跳上一支欢乐的舞蹈。不能说这种行为和反应全是国家意识形态的结果,但这样固定的生活格局对他们那个年龄段和学历层次的居民所造成的潜移默化的规训是根深蒂固的。这样的介入性测试和调查已经由审美性观看转变为综合性的互动调研,就如同发迹于加拿大的杂志和传媒集团Vice要做某一调查前必先打入其内部一样,王海川既是打入铜元局内部的线人,又是决策者和行动者。铜元局成为一个样本,既不太社会学,又不那么纯艺术,它是一个生态的缩影。就如同这个两天的旅行活动那样,从无序到有序的过程也就意味着对规则和制度的认可和接受,总有一小部分人站出来成为规则的制定者,即使是几十人的小群体活动,其反映出的是一个社会的形成规律和雏形。 铜元局活动室 铜元局项目会随着铜元局社区拆迁工作的完成而结束,王海川的预测是三年左右。在已经进行的三年项目活动中,王海川搜集了铜元局相关的各类资料与素材,以类似社会调查的形式与那里的居民和生活发生关系。近半年以来,王海川的艺术方式发生了转变,以活动室的形式使更多的人参与进来,创作作品、举办论坛,赋予艺术以更多可能性。 2013年底,王海川与重庆器空间一起发起成立了“T1 Project Room:铜元局活动室”,是一项以正在发生的中国城市化现场以及城市化景观为对话对象的跨学科工作项目。这是王海川在铜元局拆迁区向尚未搬走的住户租借的两间空房,每个房间面积都是16.9m²,活动室的所有项目活动将以这两件旧房为现场或素材展开。“T1 Project Room:铜元局活动室”将邀请来自不同学科领域的工作者,包括艺术家,社会学家,建筑师,设计师等,按照各自的工作主题,在铜元局片区展开多维度的工作。这些多样化的工作主要分为三块:独立艺术项目、艺术论坛,以及重庆地区青年艺术家具有实验性的个人艺术实践。 现已经开展的独立艺术论坛有2013年12月19日由杨述、倪昆主持的“媒介,方式及行动:来自孟加拉国/缅甸的乡村艺术实践”,该活动在器空间举行,参与者既有重庆本地艺术家,又有来器空间做交换访问的外国艺术家。另外,在2014年1月16日的独立艺术项目“时态第五回:不适的现场”之后举行的讨论会“语境,媒介,空间生产”将前一主题的讨论进一步深化和拓展。 已经完成或正在进行中的 “T1 Project Room:铜元局活动室” 艺术项目有三个:2012年底王海川进行的“铜元局艺术辅导计划”,2013年12月8日徐浪团队所进行的“铜元局测绘项目”,2014年1月16日由王海川、康学儒召集,倪昆主持的“时态第五回:不适的现场”项目。艺术辅导项目是一项长期的艺术教育和普及计划,主要针对铜元局住户进行,王海川将相机分发给铜元局居民,教他们摄影,拍摄生活中的趣味瞬间,同时在必要时刻也可成为一种记录的手段。徐浪团队进行的测绘项目是以建筑学的方法对铜元局的居住建筑做精确测量,将测量的数据以数码形式在电脑中复原,形成类似建筑样板房的结构。由于脱离了实体建筑环境,电脑中的铜元局建筑模型完全由数据和线面结构组合,甚至有了几分高档住宅区的影子。“时态第五回:不适的现场”项目以召集艺术家的形式展开,所有的艺术活动都是以铜元局活动室为基点,是在铜元局特定现场基础之上的在讨论和再试验。 “T1 Project Room:铜元局活动室”将艺术发生的场所移至即将拆迁的居民楼中,这样是方式本身即与铜元局以及铜元局的生活发生了关系。在这个阶段的实践中,王海川适度抽离,回到艺术系统内部来探索艺术发生的更多可能性。铜元局活动室的实践为艺术的发生和生产提供了不同于一般美术馆和画廊的条件,它被规划和被限制的成分并不明显,是野生有活力的,同时因为没有了一般机构的运营压力,在这里实验的艺术家能够充分将艺术的可能性最大化地实现,不会考虑过多经济资本等方面的束缚。不断有好的想法和在一般机构空间中难以实现的方案在这里发生,同时,王海川的艺术辅导项目也成为一项面向特定人群的公共美术教育活动,场地虽小,但在职能上活动室可称得上野生版的美术馆,但活动室显然给更多试验的、冒险的、新奇的或无聊的想法提供了更多可能性。由于没有严格的筛选等环节,王海川坦言并不是在活动室中所发生的艺术实践都是好的,也不乏肤浅粗制的作品出现。在这样的情况下,如何保证活动室的艺术实践长期持续地开展,并尽量保持它持久的活力和实验性,这是在铜元局活动室项目的进行中需要不断调整和摸索的。 |
无根之居
——关于王海川的《小区》系列
康学儒
王海川迄今为止的绘画《小区》系列,给我们展示了一个“异样”的中国。以鲜明的中国性符号或者是摄取中国的民俗风情,来迎合“他者”的想象,这种策略被多数艺术家运用着。但王海川却与此相反,他所关注的恰恰是中国人自身对异国风情的想象,以及媚俗性崇拜和消费。当西方对东方风情还在想象和窥视之时,东方的中国确已将异国风情完全变成了实实在在矗立的神州大地上的景观。
《小区》系列正是对中国现实景观——近年来纷纷兴起的城市居民小区——异样景观的反思。行走于各个城市之间的艺术家们,正在经历并感受着中国千年以来未有的变革。而对于经常奔波于北京、重庆、成都等地的王海川来说,这样的体会是深刻难免是感伤的。当960万平方公里的大地上,各种英伦风情和欧式建筑蓬勃涌现,而具有中国文化样式和精神气质的建筑却黯然消失,甚至荡然无存之时,这是一种疯癫还是文明呢?
王海川在他的绘画中所要言说的是一个我们无法回避的事实。我们的居住空间和环境正在迅速的趋向于一种纯粹、简单的模仿,甚至是直接照搬和拙劣仿造。在中国的很多城市,英伦、欧式、美式建筑在同一区域荡然并存。在同一条大街上,右边是奇异的地中海风情,而左边却是一本正经的俄罗斯风格。建筑之于人的意义,在这里,仅余唯一的使用功能。
但显然,使用功能并不是建筑的唯一价值。人与空间、人与建筑的关系无非是从根本得到精神的慰藉及思考的栖居。而地域文化的特殊性,以及生存经验的差异性,使得人类的精神和思考总是导向民族历史记忆与文化习性,以此获得精神上的共鸣与身份上的认同,所谓“可观、可居”的畅怀之情,暗含此道。但是,这样的诉求在今天的中国,已是可望而不可求。
在王海川的绘画中,这种渴望是无望的,因为主体是不存在的。他没有告诉我们主体在哪儿?或许,他要言说的是,这些小区根本上与居住者无关,也与这片土地无关。唯有那些灰色、惨淡的小区在灰暗中自主存在。所以,灰色和自主构成了王海川绘画最为重要的两点。
灰色并不意味着现代建筑材料的属性,也不是颜色挥洒在画面上的斑驳痕迹。灰色在这里是一个反讽的文化概念,当昔日的自然光彩和文明曙光在城市化的进程中被驱逐时,灰色便成了今天社会的主色调。自主显然是一种不对等的权利关系,它的存在不以居住者的意志和地区的文化属性而存在。它对时尚的依赖和异国风情的迷恋在市场和商业的操纵之下,铺天盖地的出现成为“第三”世界“现代化”准确无误的标志。所以,这种自主是优雅的、精致的、讨巧的,但本质上,它是媚俗的、同时也是虚假的,它企图营造一种替代性的经验和假造的感觉,试图给人以温馨的家园感觉,以期获得商业上的成功,而真正的精神家园在这种伪造中被异化、阉割,成为无根之居。
所以,异化景观构成王海川最不同于其他以建筑作为主题的艺术家。他不是以怀旧的形式来否定当下,而是以当下的现实景观,以平和的心态和平静的画面,委婉的转诉出他对人类居住空间的理解和对当下建筑行为的质疑。
Habitation without Root
—About the Compound series by Wang Haichuan
Kang Xueru
The Compound series by Wang Haichuan provides us with an “unusual” China. Using distinctive Chinese symbols or Chinese folk customs to appeal to the imagination of “others” is a strategy being used by many artists. However, Wang Haichuan is the opposite. What he cares is just the imagination of Chinese people, the gaudy worship and consumption. When Western world is still imaging and peeping at the Eastern flavor, China has already changed its exotic flavor into real landscape.
Compound series is just the retrospection on China’s realistic and unusual landscape-city inhabitant compounds built recently. Artists who shuttle back and forth between cities are experiencing a change that has never happened during the past one thousand years in China. For Wang Haichuan, who is often busy in Beijing, Chongqing and Chengdu, etc, this experience is deep and sentimental. When all kinds of British or European buildings flourish on the land of China while all the buildings with Chinese style and spirit disappear gradually, should we call this craziness or civilization?
What Wang Haichuan talks about in his painting is an unavoidable truth. Our living space and environment are rapidly changing into a pure and simple imitation, sometimes even bad copies. In many cities of China, British, European and American style buildings exist in the same area. On the same street, there may be exotic Mediterranean style building on the right, but on the left solemn Russian style building. Here, for mankind, the only meaning of architecture is function of use.
Obviously, function of use is not the only value of architecture. The relationships between man and space and man and architecture are nothing but a spiritual comfort and an inhabitation of thought. The peculiarity of regional culture and the difference of living experience make people’s spirit and thinking only concern about national history and cultural customs so that they can acquire mutual understanding in spirit and recognition of identity. However, this pursuit is hard to reach in the current Chinese society.
In Wang Haichuan’s painting, this longing is hopeless, because there is no main body. He did not tell us where it is. Perhaps, what he wants to say is, these compounds have nothing to do with the inhabitants or the land. Only those poor compounds exist in the dark grey color autonomously. Therefore, gray and autonomy constitute the most important parts of Wang Haichuan’s painting.
Grey does not mean the nature of modern architectural materials, nor is it the mottled traces left by the paints on the painting. Grey is an ironic cultural concept. When the past natural color and cultural twilight were expelled during the process of urbanization, grey became the main tone of current society. Autonomy is obviously an unequal power relation. Its existence does not rely on the will of inhabitants or the cultural nature of the regions. Its dependence on fashion and its infatuation with exotic style are shown everywhere and they become an accurate symbol for “modernization” and “Third-World”, which is under the control of market and commerce. Therefore, this autonomy is elegant, delicate and pleasing, but in essence, it is gaudy and fake. It attempts to create a substituted experience to impress the people with a feeling of home, so as to win commercial success, but the real spiritual home is alienated and castrated into a rootless habitation.
Therefore, alienated landscapes make Wang Haichuan different from other artists whose theme is also architecture. He does not deny the current situation with a nostalgic form; he euphemistically questions the understanding of current human inhabitation space and architectural behaviors with realistic landscapes, calm pictures and a peace of mind.
——关于王海川的《小区》系列
康学儒
王海川迄今为止的绘画《小区》系列,给我们展示了一个“异样”的中国。以鲜明的中国性符号或者是摄取中国的民俗风情,来迎合“他者”的想象,这种策略被多数艺术家运用着。但王海川却与此相反,他所关注的恰恰是中国人自身对异国风情的想象,以及媚俗性崇拜和消费。当西方对东方风情还在想象和窥视之时,东方的中国确已将异国风情完全变成了实实在在矗立的神州大地上的景观。
《小区》系列正是对中国现实景观——近年来纷纷兴起的城市居民小区——异样景观的反思。行走于各个城市之间的艺术家们,正在经历并感受着中国千年以来未有的变革。而对于经常奔波于北京、重庆、成都等地的王海川来说,这样的体会是深刻难免是感伤的。当960万平方公里的大地上,各种英伦风情和欧式建筑蓬勃涌现,而具有中国文化样式和精神气质的建筑却黯然消失,甚至荡然无存之时,这是一种疯癫还是文明呢?
王海川在他的绘画中所要言说的是一个我们无法回避的事实。我们的居住空间和环境正在迅速的趋向于一种纯粹、简单的模仿,甚至是直接照搬和拙劣仿造。在中国的很多城市,英伦、欧式、美式建筑在同一区域荡然并存。在同一条大街上,右边是奇异的地中海风情,而左边却是一本正经的俄罗斯风格。建筑之于人的意义,在这里,仅余唯一的使用功能。
但显然,使用功能并不是建筑的唯一价值。人与空间、人与建筑的关系无非是从根本得到精神的慰藉及思考的栖居。而地域文化的特殊性,以及生存经验的差异性,使得人类的精神和思考总是导向民族历史记忆与文化习性,以此获得精神上的共鸣与身份上的认同,所谓“可观、可居”的畅怀之情,暗含此道。但是,这样的诉求在今天的中国,已是可望而不可求。
在王海川的绘画中,这种渴望是无望的,因为主体是不存在的。他没有告诉我们主体在哪儿?或许,他要言说的是,这些小区根本上与居住者无关,也与这片土地无关。唯有那些灰色、惨淡的小区在灰暗中自主存在。所以,灰色和自主构成了王海川绘画最为重要的两点。
灰色并不意味着现代建筑材料的属性,也不是颜色挥洒在画面上的斑驳痕迹。灰色在这里是一个反讽的文化概念,当昔日的自然光彩和文明曙光在城市化的进程中被驱逐时,灰色便成了今天社会的主色调。自主显然是一种不对等的权利关系,它的存在不以居住者的意志和地区的文化属性而存在。它对时尚的依赖和异国风情的迷恋在市场和商业的操纵之下,铺天盖地的出现成为“第三”世界“现代化”准确无误的标志。所以,这种自主是优雅的、精致的、讨巧的,但本质上,它是媚俗的、同时也是虚假的,它企图营造一种替代性的经验和假造的感觉,试图给人以温馨的家园感觉,以期获得商业上的成功,而真正的精神家园在这种伪造中被异化、阉割,成为无根之居。
所以,异化景观构成王海川最不同于其他以建筑作为主题的艺术家。他不是以怀旧的形式来否定当下,而是以当下的现实景观,以平和的心态和平静的画面,委婉的转诉出他对人类居住空间的理解和对当下建筑行为的质疑。
Habitation without Root
—About the Compound series by Wang Haichuan
Kang Xueru
The Compound series by Wang Haichuan provides us with an “unusual” China. Using distinctive Chinese symbols or Chinese folk customs to appeal to the imagination of “others” is a strategy being used by many artists. However, Wang Haichuan is the opposite. What he cares is just the imagination of Chinese people, the gaudy worship and consumption. When Western world is still imaging and peeping at the Eastern flavor, China has already changed its exotic flavor into real landscape.
Compound series is just the retrospection on China’s realistic and unusual landscape-city inhabitant compounds built recently. Artists who shuttle back and forth between cities are experiencing a change that has never happened during the past one thousand years in China. For Wang Haichuan, who is often busy in Beijing, Chongqing and Chengdu, etc, this experience is deep and sentimental. When all kinds of British or European buildings flourish on the land of China while all the buildings with Chinese style and spirit disappear gradually, should we call this craziness or civilization?
What Wang Haichuan talks about in his painting is an unavoidable truth. Our living space and environment are rapidly changing into a pure and simple imitation, sometimes even bad copies. In many cities of China, British, European and American style buildings exist in the same area. On the same street, there may be exotic Mediterranean style building on the right, but on the left solemn Russian style building. Here, for mankind, the only meaning of architecture is function of use.
Obviously, function of use is not the only value of architecture. The relationships between man and space and man and architecture are nothing but a spiritual comfort and an inhabitation of thought. The peculiarity of regional culture and the difference of living experience make people’s spirit and thinking only concern about national history and cultural customs so that they can acquire mutual understanding in spirit and recognition of identity. However, this pursuit is hard to reach in the current Chinese society.
In Wang Haichuan’s painting, this longing is hopeless, because there is no main body. He did not tell us where it is. Perhaps, what he wants to say is, these compounds have nothing to do with the inhabitants or the land. Only those poor compounds exist in the dark grey color autonomously. Therefore, gray and autonomy constitute the most important parts of Wang Haichuan’s painting.
Grey does not mean the nature of modern architectural materials, nor is it the mottled traces left by the paints on the painting. Grey is an ironic cultural concept. When the past natural color and cultural twilight were expelled during the process of urbanization, grey became the main tone of current society. Autonomy is obviously an unequal power relation. Its existence does not rely on the will of inhabitants or the cultural nature of the regions. Its dependence on fashion and its infatuation with exotic style are shown everywhere and they become an accurate symbol for “modernization” and “Third-World”, which is under the control of market and commerce. Therefore, this autonomy is elegant, delicate and pleasing, but in essence, it is gaudy and fake. It attempts to create a substituted experience to impress the people with a feeling of home, so as to win commercial success, but the real spiritual home is alienated and castrated into a rootless habitation.
Therefore, alienated landscapes make Wang Haichuan different from other artists whose theme is also architecture. He does not deny the current situation with a nostalgic form; he euphemistically questions the understanding of current human inhabitation space and architectural behaviors with realistic landscapes, calm pictures and a peace of mind.
王海川:对于城市景观的手工批判 皮力
在今天,没有什么比居住更能牵动中国人的神经了。从计划经济到市场经济的转型,造就了中国人居住方 式的改变。20世纪中期以来,计划经济造就了中国齐常化的居住方式。城市居住的群落由血缘关系为纽带的 传统形态,转化为以工作单位为纽带社会主义时期。这种集体的居住方式牺牲了传统的家庭价值,但是却以 牺牲个性与隐私换来了一种看似浪漫的亲情。通过改革开放所造就的市场化经济,造就了社会财富的非平均 分配。而与此同时,在宏观经济层面房地产成为了过去20年间经济的发动机。在市场经济的格局中,传统的 齐常化的居住方式发生了改变。传统的集体居住方式转换为以经济收入为纽带的居住方式。由于新中国以来 的社会主义政治体系彻底颠覆了由经济关系建立起来的社会等级制度,所以当市场经济形成之后,由于缺乏 政治和文化表达的渠道,不同的社会群体只能用财富来标榜“身份意识”。而在这种身份意识的表达中,居住方 式和房屋则首当齐冲。伴随着这种“居住-身份”意识的强化,我们在遍布全国各地的房地产广告、规划、设计 和样板中可以看到,由于缺乏自身的阶级文化,中国的中产阶级只能借用诸如地中海庭院、美式家具、英式 管家的元素匆忙的表达着自己,于是我们在北京、上海和重庆看见了长岛、威尼斯或者巴塞罗那。
与中产阶级通过建筑趣味标榜自己一样,政治中的权贵则也在通过建筑也在标榜着自身。在集体主义时 代,标榜权力的是日常政治生活中的游行、集体舞蹈和各种各样的纪念建筑,而今,经济的发展代表个体的 经济自由,使得集体游行和舞蹈只能保留在重大的官方庆典中,而纪念碑由于缺乏同一的意识形态支撑,而 无法实现。在此背景下,为了标榜自身的存在,政治的权贵通过各种疯狂的建筑实验来呈现自己虚无的革新 意识。而这些建筑往往缺乏审批和必要的规划论证。我们可以看到无数超级建筑树立起来,它们不断创新着 亚洲的最高建筑记录,它们是在自然风景中的巨大玻璃穹顶,是无数用廉价瓷砖构造的经济开发区,或者像 当年纪念碑一样高大的中央商务区中的高楼。如果说被财富冲动控制的人居住在那些别墅与高档公寓中,那 么当代的权力叙事则隐含在这些疯狂崛起的奇特建筑之中,所有的这些都是资本和财富所堆积出来的“当代景 观”。王海川的这些作品就是产生在这样背景之下。此前,视觉艺术出身的王海川曾经多年从事建筑和景观设 计。而这批作品的出现也是有这样一个历史机缘在其中。在他的作品中,绝无人的出现,对于建筑和园林的 描述,人们很容易将这些作品看作是一些风景绘画的陈词滥调。但是事实并非如此。从2008年开始,艺术家 最先描述的是那些纪念碑性质的建筑。而后将触角涉及到正在蓬勃崛起的各种高档小区之中。如果不考虑画 面上的滴洒,我们几乎可以将这些图像视作是建筑画。但是这些作品的观念恰巧出现在这些非绘画性的因素 之中。这些单色的画面,使得来自真实场景的景物变得虚假;拒绝了人的出现则是让这些本来应该人性化的 东西变得更加没有“人性”,而显得象舞台上的空洞、单薄的摆设。而这些单色的滴洒,则不断的提示着我们, 这些美好的虚伪性,以及艺术家试图破坏或者穿透它们的企图。王海川的作品是将那些美好的私人生活和和 谐社会的表征毁灭给我们看。但是其方式却是平凡而普通的。其作品中试图磨灭现实的质感而替换以时间的 陈迹。
进入2010年以后,王海川开始对于在这片兴旺发达的土地上被荒废和以往的建筑产生了浓厚的兴趣。 他开始关注那些随着高速公路的到达而行将消失的村落,那些曾经在强国梦想中风光过的集体住宅,以及在 数个世纪前用来标榜信仰的石窟。在他的题材中,新与旧、繁荣与没落的对比都是表达观念的一部分。按照 居·德波的观点,景观是资本的堆积,而今天生活是被景观所围绕,我们的生活方式也是按照景观的方式来组 织的。从这个角度来看的话,在这些恬静的画面背后,蕴含的是一种强烈的批判情结。如同,数个世纪以前 的强盛同时造就了农村村落和蔚为大观的石窟,但终究被历史所湮灭一样,今天我们对于财富的崇拜所导致 的造城运动,在缺乏人性关照的资本条件下,其彰显的是一种可怕的疯狂、无知与无畏。而王海川所做的, 并非是表现那些建筑与风景,而是视其为一种景观的堆积,并用非常手工的绘画方式来揭露这些景观的非真 实性。
Wang Haichuan: the Manual Criticism about City Landscape
Today, there is nothing that Chinese people concerns more than inhabitation. The change from planned economy to market economy resulted in the change of Chinese people’s way of inhabitation. Since mid 20th Century, planned economy resulted in a normal way of inhabitation in China. The traditional status of city inhabitation groups, which was based on blood relationship, changed into a social status that is composed of working units. This collective way of inhabitation sacrifices traditional family value, but it acquires a seemingly romantic family love by sacrificing individuality and privacy. Through the market economy brought by reform and opening up, social wealth is unevenly allocated. Meanwhile, on the macroscopic level, real-estate has been the engine of economy for the past twenty years. In the pattern of market economy, the traditional and normal way of inhabitation changed. The traditional way of collective inhabitation changed into an inhabitation way bound by income. The social and political system thoroughly overturned the social classes based on economic relationship since the founding of the new China. After the market economy took shape, different social groups can only use wealth to label “identity consciousness” due to lacking ways for political and cultural expressions. In this expression of identity consciousness, the way of inhabitation and houses stand in the breach. With the strengthening of the “inhabitation-identity” consciousness, we can see from the real-estate ads, plans and designs all over China that because of lacking hierarchy culture, the Chinese middle class can only express themselves through the elements such as Mediterranean-style courtyard, America- style furniture and British-style housekeeper. Therefore, we see Long Island, Venice or Barcelona in Beijing, Shanghai and Chongqing.
Similar to the middle class labeling themselves with architecture taste, the influential political people also label themselves with architecture. In the era of collectivism, what symbolized power were parades in daily political life, collective dances and all sorts of memorial buildings. But now, the economic development symbolizes the economic freedom for individuals, therefore, collective parades and dances can only be shown in important official celebration ceremonies. However, because of lacking support from the same ideology, monuments cannot be realized. In this situation, in order to emphasize their existence, the political bigwigs show their nihilistic reform consciousness through all kinds of crazy architectural experiments. However these buildings often lack necessary examination and approval. We can see countless super buildings erect on the ground and they continuously set new records as Asia’s highest buildings. They are the giant glass ceilings in the natural landscape, numerous economic development zones made of cheap porcelain bricks, or the skyscrapers in the business centers that are as big as the monuments. If we say the people who are controlled by wealth impulse live in those villas and high-class apartments, then contemporary power narration hides in these strange buildings. All those things are “contemporary vision” piled by capital and wealth.
Wang Haichuan’s works are created in such a Beijing. Wang Haichuan, whose major was visual art, used to work in the field of architecture and landscape design for many years. In his works, there are no figures. People tend to regard these works as clichés of landscape painting because of his portrayal of buildings and gardens. But the fact is not like that. Since 2008, artists first portrayed those monuments, and then he spread to all kinds of high-class compounds. If we ignore the brush strokes in the picture, we can almost consider these images as architectural paintings. However, the conception of these paintings happens to be in these non-painting elements. These single-colored pictures make things from the real scenes become fake. The absence of people in the pictures makes these humanized things lose their “humanities”; they look like the empty and simple decorations on the stage. Those single-colored brush strokes continuously remind us of the fakeness of the beauty and the artist’s attempt to destroy or penetrate it. Wang Haichuan’s works destroy the superficial characters of those beautiful private lives and harmonious society, but his way of doing this is plain. He attempts to demolish the trace of reality and replace it with relics of time. Since 2010, Wang Haichuan began to show strong interest in the wasted old buildings on this prosperous land. He began to pay attention to those villages that are going to disappear with the rise of highways, collective residences that used to be popular in the past dream and grottos that were used to show belief centuries ago. In his themes, the comparisons of new and old and prosperity and ruination are part of the expression of his conception. Landscape is the piling of capitals. Today’s life is surrounded by landscapes and our way of living is based on landscapes. From this angle, what hides behind those quiet pictures is a strong critical emotion. This is just like the prosperity centuries ago brought villages and grand grottos, but they were eventually swallowed by history. The building movement resulted from the worship of wealth shows terrible craziness, intrepidity and ignorance without humanistic concern. But what Wang Haichuan has been doing is not portraying those buildings and landscapes, but regarding them as a pile of visions and revealing the fakeness of these visions with a manual way of painting.
Pi Li
在今天,没有什么比居住更能牵动中国人的神经了。从计划经济到市场经济的转型,造就了中国人居住方 式的改变。20世纪中期以来,计划经济造就了中国齐常化的居住方式。城市居住的群落由血缘关系为纽带的 传统形态,转化为以工作单位为纽带社会主义时期。这种集体的居住方式牺牲了传统的家庭价值,但是却以 牺牲个性与隐私换来了一种看似浪漫的亲情。通过改革开放所造就的市场化经济,造就了社会财富的非平均 分配。而与此同时,在宏观经济层面房地产成为了过去20年间经济的发动机。在市场经济的格局中,传统的 齐常化的居住方式发生了改变。传统的集体居住方式转换为以经济收入为纽带的居住方式。由于新中国以来 的社会主义政治体系彻底颠覆了由经济关系建立起来的社会等级制度,所以当市场经济形成之后,由于缺乏 政治和文化表达的渠道,不同的社会群体只能用财富来标榜“身份意识”。而在这种身份意识的表达中,居住方 式和房屋则首当齐冲。伴随着这种“居住-身份”意识的强化,我们在遍布全国各地的房地产广告、规划、设计 和样板中可以看到,由于缺乏自身的阶级文化,中国的中产阶级只能借用诸如地中海庭院、美式家具、英式 管家的元素匆忙的表达着自己,于是我们在北京、上海和重庆看见了长岛、威尼斯或者巴塞罗那。
与中产阶级通过建筑趣味标榜自己一样,政治中的权贵则也在通过建筑也在标榜着自身。在集体主义时 代,标榜权力的是日常政治生活中的游行、集体舞蹈和各种各样的纪念建筑,而今,经济的发展代表个体的 经济自由,使得集体游行和舞蹈只能保留在重大的官方庆典中,而纪念碑由于缺乏同一的意识形态支撑,而 无法实现。在此背景下,为了标榜自身的存在,政治的权贵通过各种疯狂的建筑实验来呈现自己虚无的革新 意识。而这些建筑往往缺乏审批和必要的规划论证。我们可以看到无数超级建筑树立起来,它们不断创新着 亚洲的最高建筑记录,它们是在自然风景中的巨大玻璃穹顶,是无数用廉价瓷砖构造的经济开发区,或者像 当年纪念碑一样高大的中央商务区中的高楼。如果说被财富冲动控制的人居住在那些别墅与高档公寓中,那 么当代的权力叙事则隐含在这些疯狂崛起的奇特建筑之中,所有的这些都是资本和财富所堆积出来的“当代景 观”。王海川的这些作品就是产生在这样背景之下。此前,视觉艺术出身的王海川曾经多年从事建筑和景观设 计。而这批作品的出现也是有这样一个历史机缘在其中。在他的作品中,绝无人的出现,对于建筑和园林的 描述,人们很容易将这些作品看作是一些风景绘画的陈词滥调。但是事实并非如此。从2008年开始,艺术家 最先描述的是那些纪念碑性质的建筑。而后将触角涉及到正在蓬勃崛起的各种高档小区之中。如果不考虑画 面上的滴洒,我们几乎可以将这些图像视作是建筑画。但是这些作品的观念恰巧出现在这些非绘画性的因素 之中。这些单色的画面,使得来自真实场景的景物变得虚假;拒绝了人的出现则是让这些本来应该人性化的 东西变得更加没有“人性”,而显得象舞台上的空洞、单薄的摆设。而这些单色的滴洒,则不断的提示着我们, 这些美好的虚伪性,以及艺术家试图破坏或者穿透它们的企图。王海川的作品是将那些美好的私人生活和和 谐社会的表征毁灭给我们看。但是其方式却是平凡而普通的。其作品中试图磨灭现实的质感而替换以时间的 陈迹。
进入2010年以后,王海川开始对于在这片兴旺发达的土地上被荒废和以往的建筑产生了浓厚的兴趣。 他开始关注那些随着高速公路的到达而行将消失的村落,那些曾经在强国梦想中风光过的集体住宅,以及在 数个世纪前用来标榜信仰的石窟。在他的题材中,新与旧、繁荣与没落的对比都是表达观念的一部分。按照 居·德波的观点,景观是资本的堆积,而今天生活是被景观所围绕,我们的生活方式也是按照景观的方式来组 织的。从这个角度来看的话,在这些恬静的画面背后,蕴含的是一种强烈的批判情结。如同,数个世纪以前 的强盛同时造就了农村村落和蔚为大观的石窟,但终究被历史所湮灭一样,今天我们对于财富的崇拜所导致 的造城运动,在缺乏人性关照的资本条件下,其彰显的是一种可怕的疯狂、无知与无畏。而王海川所做的, 并非是表现那些建筑与风景,而是视其为一种景观的堆积,并用非常手工的绘画方式来揭露这些景观的非真 实性。
Wang Haichuan: the Manual Criticism about City Landscape
Today, there is nothing that Chinese people concerns more than inhabitation. The change from planned economy to market economy resulted in the change of Chinese people’s way of inhabitation. Since mid 20th Century, planned economy resulted in a normal way of inhabitation in China. The traditional status of city inhabitation groups, which was based on blood relationship, changed into a social status that is composed of working units. This collective way of inhabitation sacrifices traditional family value, but it acquires a seemingly romantic family love by sacrificing individuality and privacy. Through the market economy brought by reform and opening up, social wealth is unevenly allocated. Meanwhile, on the macroscopic level, real-estate has been the engine of economy for the past twenty years. In the pattern of market economy, the traditional and normal way of inhabitation changed. The traditional way of collective inhabitation changed into an inhabitation way bound by income. The social and political system thoroughly overturned the social classes based on economic relationship since the founding of the new China. After the market economy took shape, different social groups can only use wealth to label “identity consciousness” due to lacking ways for political and cultural expressions. In this expression of identity consciousness, the way of inhabitation and houses stand in the breach. With the strengthening of the “inhabitation-identity” consciousness, we can see from the real-estate ads, plans and designs all over China that because of lacking hierarchy culture, the Chinese middle class can only express themselves through the elements such as Mediterranean-style courtyard, America- style furniture and British-style housekeeper. Therefore, we see Long Island, Venice or Barcelona in Beijing, Shanghai and Chongqing.
Similar to the middle class labeling themselves with architecture taste, the influential political people also label themselves with architecture. In the era of collectivism, what symbolized power were parades in daily political life, collective dances and all sorts of memorial buildings. But now, the economic development symbolizes the economic freedom for individuals, therefore, collective parades and dances can only be shown in important official celebration ceremonies. However, because of lacking support from the same ideology, monuments cannot be realized. In this situation, in order to emphasize their existence, the political bigwigs show their nihilistic reform consciousness through all kinds of crazy architectural experiments. However these buildings often lack necessary examination and approval. We can see countless super buildings erect on the ground and they continuously set new records as Asia’s highest buildings. They are the giant glass ceilings in the natural landscape, numerous economic development zones made of cheap porcelain bricks, or the skyscrapers in the business centers that are as big as the monuments. If we say the people who are controlled by wealth impulse live in those villas and high-class apartments, then contemporary power narration hides in these strange buildings. All those things are “contemporary vision” piled by capital and wealth.
Wang Haichuan’s works are created in such a Beijing. Wang Haichuan, whose major was visual art, used to work in the field of architecture and landscape design for many years. In his works, there are no figures. People tend to regard these works as clichés of landscape painting because of his portrayal of buildings and gardens. But the fact is not like that. Since 2008, artists first portrayed those monuments, and then he spread to all kinds of high-class compounds. If we ignore the brush strokes in the picture, we can almost consider these images as architectural paintings. However, the conception of these paintings happens to be in these non-painting elements. These single-colored pictures make things from the real scenes become fake. The absence of people in the pictures makes these humanized things lose their “humanities”; they look like the empty and simple decorations on the stage. Those single-colored brush strokes continuously remind us of the fakeness of the beauty and the artist’s attempt to destroy or penetrate it. Wang Haichuan’s works destroy the superficial characters of those beautiful private lives and harmonious society, but his way of doing this is plain. He attempts to demolish the trace of reality and replace it with relics of time. Since 2010, Wang Haichuan began to show strong interest in the wasted old buildings on this prosperous land. He began to pay attention to those villages that are going to disappear with the rise of highways, collective residences that used to be popular in the past dream and grottos that were used to show belief centuries ago. In his themes, the comparisons of new and old and prosperity and ruination are part of the expression of his conception. Landscape is the piling of capitals. Today’s life is surrounded by landscapes and our way of living is based on landscapes. From this angle, what hides behind those quiet pictures is a strong critical emotion. This is just like the prosperity centuries ago brought villages and grand grottos, but they were eventually swallowed by history. The building movement resulted from the worship of wealth shows terrible craziness, intrepidity and ignorance without humanistic concern. But what Wang Haichuan has been doing is not portraying those buildings and landscapes, but regarding them as a pile of visions and revealing the fakeness of these visions with a manual way of painting.
Pi Li
王海川的采访
采访时间:2010年5月14日采访地点:北京市海桥区王海川工作室
赵子龙(以下简称“赵”)王海川(以下简称“王”)
Wang Haichuan's Interview
Interview time: May 14th, 2010 Interview place: Wang Haichuan Studio, Heiqiao, Beijing
Zhao Zilong (Abbreviated as “Zhao” below) Wang Haichuan (Abbreviated as “Wang” below)
Zhao: Your picture contains tube-shaped apartments, foreign-style houses and gardens and their colors are relatively unitary. Why is that?
Wang: Maybe I want to feel more the relationship between traditional Chinese spirit and current situation. I think art is like life. It starts from the essence and the simpler it is, the better it will be. After many things are removed, what are left are spiritual things, it is essence. My painting has always been concerning this issue. I myself have been thinking of the essence of life. My earliest paintings depicted Mediterranean, Spanish or American style high-class compounds, which might be a kind of representation of modern life. However, you will fnd a very “unnatural” feeling in these images. People are likely to be stuck in this modernized trend and give up their original cultural existence and thought, which have made them exist in a kind of “rootless” status. Modern things surely contain a lot of reasonable portions and they comply with our current life. However, abandoning the past thoroughly will make people be at loose ends.
Besides, my paintings hawe something to do with collective memory, with what we can fnd from our history. For example, for tube-shaped apartments, every window has a story. It is not only a reproduction; it also bears the life status and qualities of our old era. At that time, the relationship between neighbors was different as what it is today. Which family cooked double-cooked pork slices and which family got bonus to redecorate their balcony, everybody would know. That kind of neighborhood relationship possessed a very beautiful part of the relationship between people. I feel that it is becoming harder and harder for our generation to treat history nicely. Out of some sort of emotional complex, many artists are flled with sorrow and anger when they express history. In my opinion, although our past has its gray part, it also has a warm, happy and gentle part. Today people seem to welcome us to complain, but if our hearts are honest enough, we will know that our lives are in those past days. When I paint images with historical elements, I try to remove those emotional things and see what is left. I think that could be our real “past”.
Zhao: I’d say you pay attention to realistic ecology rather than spiritual ecology.
Wang: That’s true. For example, “artificial woods”. People think artificial woods are afforestation and afforestation is improving the ecology. But I think this is a misunderstanding. Artifcial afforestation is only a superfcial phenomenon of ecology and it cannot solve ecological problems. Japan’s percentage of forest cover is 70%. In every March and April, pollen is everywhere and 20% of the people will catch pollinosis. But several years ago, there was no such a disease. The cause of pollinosis is artifcial woods. Most of the building materials in Japan are made of wood and that’s why they plant large amounts of artifcial woods (mainly a kind of cedar trees). In a harmonious ecology, artifcial woods are supposed to co-exist with other trees. However, there are no other trees in the artifcial woods because they will be felled if they appear. I think this is an abnormal shaping of natural ecology and that’s why it causes the revenge from nature: pollinosis is in fact invasive and retaliatory. China is also planting artifcial woods now, but China’s will not face this problem in a short time. The root of this problem is that people have a kind of need towards materials, but they do not love the nature deep down inside. This is not a “harmonious” concept. For example, we like cement, therefore cement appears in large amount. But cement cannot be turned into earth in two or three hundred years. Lately we feel the weather is not normal. Why? Also, is San Xia Project a right project? Do we really need to do it this way? Will it infuence climate and ecology much? These are all problems. “Harmony” is a complete and consistent concept. If we regard the earch as a human body, then we need to use the concept of entity from Chinese medicine to help the body to recover. Nevertheless, what we adopt today is a concept similar to “skin-grafting” or “hair transplantation”. Besides, why are we in such a hurry to develop? What is the aim of our development? I think frst we need to solve this problem.
Zhao: In your opinion, what is our ideal living status?
Wang: The essential part will be going back to the Chinese status, a harmonious and tolerate status. I have been to the cave dwellings in Shanxi. The inhabitation structure there is very good: the building structures, the relationship between neighbors, the transportation organizations...Everything is in close relation to other things. Modern commerce can immerge with them, too. That structure is more suitable for Chinese traditions. The essence of “architecture” is inhabiting and a building is a very important place for family reunions-the ethical relationship between man and man based on the relationship between man and nature.
139However, our apartments cannot fulfll this need. The neighborhood relationship now is a fake thing. Zhao: Your picture looks illusionary and a little cold.
Wang: Concerning problems we mentioned before, I have an emotional complex-to escape. My picture is a way of escaping and the content of it is also a way of escaping.
Zhao: How do you comment on the Chinese tradition of “living in seclusion”?
Wang: The hermit culture has been a tradition. If a hermit cannot realize his goal, what will he do? A goal is a combination of ideal and reality. Many people cannot realize their goals, so they would like to live in seclusion. In fact, during the developing process of the commercial society, there are few people can realize all of their goals through commercial reality. I have been in the business feld, too. Later I fnd that many things cannot be achieved through commerce. Today I paint, which is also a way of “living in seclusion”. From another angle, this hermit culture also provides the intellectuals with a way of self-improvement. Once you cannot realize your goal, you are not supposed to be frustrated because there will always be another possibility to realize the value of life. This is the embodiment of Chinese people’s tolerance.“Paying attention to one’s own moral uplift without thought of others” actually is not escaping or nihilism. On the contrary, it is especially suitable for an agitated era. Currently Chinese society is a construction period. The most important thing of “construction” is starting from oneself; while starting from oneself requires “self- improvement”.
Zhao: Talking about “self-improvement”, facing the woods you painted are the bodhisattvas, which is very meaningful. Does this mean you have found a direction of solution?
Wang: Few figures would appear in my paintings. But after I went to Maiji Mountain and saw the sculptures from Bei Wei, I was shocked. There was a kind of impulsion there and the impulsion was objectless. I just felt my mind went blank and it surpassed the “psychological reaction” in the traditional sense; it was a “spiritual reaction” of a higher ground. Ancient people wrote about the fairy of Wu Mountain, the Goddess Luo and the “spiritual communication”. I think it was just like those feelings, very magical. Judged from the image, this Buddha does not look like either female or male. It is neutral but perfect. Perhaps the so-called harmony is the balance between yin and yang. Once a thing is neutral, it will look “right”. It will also stay away from the stimulations or extremes and show its essence. If this is an ultimate point, we could get the answer. We have to reach that deserted place after we go through many problems and that deserted place is where the fairies live. This provides us with a possible structure to let us search in reality. If we are lucky enough, we can fnd that Chinese-style eyes and smile.
Zhao:What is the attitude when you face to the life?
Wang:The real life is not smoothly,but if we can be modest to treat other people ’s enmity, that is the attitude our Chinese should be have, and we should solve the difficult in our life.Also,that is the respect to lives.I think the most foolish behavior of human is retaliation ,abuse the personal power.If we can do well in our life.The action will effect our relatives and next generation, even more people, that is enough."True,kind,beautiful" are three vulgar words .Why today they became so vulgar ? Because people letdown on the words, if we trust they exist, the relationship between people and world will be goes well in the future.
采访时间:2010年5月14日采访地点:北京市海桥区王海川工作室
赵子龙(以下简称“赵”)王海川(以下简称“王”)
Wang Haichuan's Interview
Interview time: May 14th, 2010 Interview place: Wang Haichuan Studio, Heiqiao, Beijing
Zhao Zilong (Abbreviated as “Zhao” below) Wang Haichuan (Abbreviated as “Wang” below)
Zhao: Your picture contains tube-shaped apartments, foreign-style houses and gardens and their colors are relatively unitary. Why is that?
Wang: Maybe I want to feel more the relationship between traditional Chinese spirit and current situation. I think art is like life. It starts from the essence and the simpler it is, the better it will be. After many things are removed, what are left are spiritual things, it is essence. My painting has always been concerning this issue. I myself have been thinking of the essence of life. My earliest paintings depicted Mediterranean, Spanish or American style high-class compounds, which might be a kind of representation of modern life. However, you will fnd a very “unnatural” feeling in these images. People are likely to be stuck in this modernized trend and give up their original cultural existence and thought, which have made them exist in a kind of “rootless” status. Modern things surely contain a lot of reasonable portions and they comply with our current life. However, abandoning the past thoroughly will make people be at loose ends.
Besides, my paintings hawe something to do with collective memory, with what we can fnd from our history. For example, for tube-shaped apartments, every window has a story. It is not only a reproduction; it also bears the life status and qualities of our old era. At that time, the relationship between neighbors was different as what it is today. Which family cooked double-cooked pork slices and which family got bonus to redecorate their balcony, everybody would know. That kind of neighborhood relationship possessed a very beautiful part of the relationship between people. I feel that it is becoming harder and harder for our generation to treat history nicely. Out of some sort of emotional complex, many artists are flled with sorrow and anger when they express history. In my opinion, although our past has its gray part, it also has a warm, happy and gentle part. Today people seem to welcome us to complain, but if our hearts are honest enough, we will know that our lives are in those past days. When I paint images with historical elements, I try to remove those emotional things and see what is left. I think that could be our real “past”.
Zhao: I’d say you pay attention to realistic ecology rather than spiritual ecology.
Wang: That’s true. For example, “artificial woods”. People think artificial woods are afforestation and afforestation is improving the ecology. But I think this is a misunderstanding. Artifcial afforestation is only a superfcial phenomenon of ecology and it cannot solve ecological problems. Japan’s percentage of forest cover is 70%. In every March and April, pollen is everywhere and 20% of the people will catch pollinosis. But several years ago, there was no such a disease. The cause of pollinosis is artifcial woods. Most of the building materials in Japan are made of wood and that’s why they plant large amounts of artifcial woods (mainly a kind of cedar trees). In a harmonious ecology, artifcial woods are supposed to co-exist with other trees. However, there are no other trees in the artifcial woods because they will be felled if they appear. I think this is an abnormal shaping of natural ecology and that’s why it causes the revenge from nature: pollinosis is in fact invasive and retaliatory. China is also planting artifcial woods now, but China’s will not face this problem in a short time. The root of this problem is that people have a kind of need towards materials, but they do not love the nature deep down inside. This is not a “harmonious” concept. For example, we like cement, therefore cement appears in large amount. But cement cannot be turned into earth in two or three hundred years. Lately we feel the weather is not normal. Why? Also, is San Xia Project a right project? Do we really need to do it this way? Will it infuence climate and ecology much? These are all problems. “Harmony” is a complete and consistent concept. If we regard the earch as a human body, then we need to use the concept of entity from Chinese medicine to help the body to recover. Nevertheless, what we adopt today is a concept similar to “skin-grafting” or “hair transplantation”. Besides, why are we in such a hurry to develop? What is the aim of our development? I think frst we need to solve this problem.
Zhao: In your opinion, what is our ideal living status?
Wang: The essential part will be going back to the Chinese status, a harmonious and tolerate status. I have been to the cave dwellings in Shanxi. The inhabitation structure there is very good: the building structures, the relationship between neighbors, the transportation organizations...Everything is in close relation to other things. Modern commerce can immerge with them, too. That structure is more suitable for Chinese traditions. The essence of “architecture” is inhabiting and a building is a very important place for family reunions-the ethical relationship between man and man based on the relationship between man and nature.
139However, our apartments cannot fulfll this need. The neighborhood relationship now is a fake thing. Zhao: Your picture looks illusionary and a little cold.
Wang: Concerning problems we mentioned before, I have an emotional complex-to escape. My picture is a way of escaping and the content of it is also a way of escaping.
Zhao: How do you comment on the Chinese tradition of “living in seclusion”?
Wang: The hermit culture has been a tradition. If a hermit cannot realize his goal, what will he do? A goal is a combination of ideal and reality. Many people cannot realize their goals, so they would like to live in seclusion. In fact, during the developing process of the commercial society, there are few people can realize all of their goals through commercial reality. I have been in the business feld, too. Later I fnd that many things cannot be achieved through commerce. Today I paint, which is also a way of “living in seclusion”. From another angle, this hermit culture also provides the intellectuals with a way of self-improvement. Once you cannot realize your goal, you are not supposed to be frustrated because there will always be another possibility to realize the value of life. This is the embodiment of Chinese people’s tolerance.“Paying attention to one’s own moral uplift without thought of others” actually is not escaping or nihilism. On the contrary, it is especially suitable for an agitated era. Currently Chinese society is a construction period. The most important thing of “construction” is starting from oneself; while starting from oneself requires “self- improvement”.
Zhao: Talking about “self-improvement”, facing the woods you painted are the bodhisattvas, which is very meaningful. Does this mean you have found a direction of solution?
Wang: Few figures would appear in my paintings. But after I went to Maiji Mountain and saw the sculptures from Bei Wei, I was shocked. There was a kind of impulsion there and the impulsion was objectless. I just felt my mind went blank and it surpassed the “psychological reaction” in the traditional sense; it was a “spiritual reaction” of a higher ground. Ancient people wrote about the fairy of Wu Mountain, the Goddess Luo and the “spiritual communication”. I think it was just like those feelings, very magical. Judged from the image, this Buddha does not look like either female or male. It is neutral but perfect. Perhaps the so-called harmony is the balance between yin and yang. Once a thing is neutral, it will look “right”. It will also stay away from the stimulations or extremes and show its essence. If this is an ultimate point, we could get the answer. We have to reach that deserted place after we go through many problems and that deserted place is where the fairies live. This provides us with a possible structure to let us search in reality. If we are lucky enough, we can fnd that Chinese-style eyes and smile.
Zhao:What is the attitude when you face to the life?
Wang:The real life is not smoothly,but if we can be modest to treat other people ’s enmity, that is the attitude our Chinese should be have, and we should solve the difficult in our life.Also,that is the respect to lives.I think the most foolish behavior of human is retaliation ,abuse the personal power.If we can do well in our life.The action will effect our relatives and next generation, even more people, that is enough."True,kind,beautiful" are three vulgar words .Why today they became so vulgar ? Because people letdown on the words, if we trust they exist, the relationship between people and world will be goes well in the future.
褪色的城市景观 虚设的"人性"风景
Wang Haichuan:
Fading City Landscape, Virtual “Human Nature” Scene
王海川是一位把目光投向城市居住环境的艺术家,早年景观设计的工作经历,使他对周边正在变化着的城市景观有着持续的敏感。那些被设计的人性,人造的风景,公共化的权利象征,无人的小区院景,在城市发展的历史变迁中产生分化。人类对改变自身生活环境的努力,是否正在逐渐褪去它应有的颜色?
Wang Haichuan is an artist who devoted his mind to city living environment. As having landscape designed work experience in his early, he has continuous sensitive to changing city landscape around him. The designed human nature, man-made scene, the symbol of public power and no person block scene were divided in the city development history. Whether the efforts that human being changed their own living environment has been taking off the integral color gradually.
城市景观设计,私人生活环境
City landscape design, personal life environment
艺术经纬:这次展览上的是最近的作品吗?
Editor: Is the late works in this exhibition?
王:应该是我2008到今年的作品。
Mr. Wang: It was my works from 2008 to this year.
艺术经纬:您是哪年到的北京?
Editor: Which year did you come to Beijing?
王:08年初。
Mr. Wang: The early of 2008.
艺术经纬:这一阶段的作品都在这个展览里了?
Editor: Are the stage works in the exhibition?
王:对,大部分。
Mr. Wang: Yes. Most.
艺术经纬:来北京前你在干什么?
Editor: What did you do before that?
王:之前是在重庆,搞景观设计公司。
Mr. Wang: I run a landscape design company in Chongqing city.
艺术经纬:什么时候开始转向绘画的?
Editor: When did you transform painting?
王:2007年吧。
Mr. Wang: 2007.
艺术经纬:能谈谈你的设计工作吗?
Editor: Could you tell me about your design work?
王:我开的是景观设计公司,对于那种小区啊,住宅环境这些接触得比较多,自然各色客户也见识不少。重庆直辖以后,地产开发很热嘛,就有很多项目,但设计过程中所有客户都要求我们把他们的项目设计成为美国、西班牙和日本的,再瞧瞧他们长得都不像这些地方的人种,也就是说我干了几年“伤天害理”的事情,直到终于有一天“良心发现”,想挽回点什么,于是在07年决定关掉公司,我捡起画笔,把很多对建筑,对环境的感受表达出来。
Mr. Wang: I run a landscape design company. I touched many blocks and the house environment. I contacted variety customers. Chongqing had be a municipality directly under the Central Government. The real estates were developed overheat and there were many projects. All customers demand us that their projects were designed America, Spanish and Japan style. You know, their faces were not foreign ethnic group. That is, I had done bad things several years. Until my found my conscience, I should do good things. So I closed down my company in 2007. I took my brush to express the feeling about architecture and environment.
艺术经纬:但是看您的画面是种旁观的感觉,这里面是不是有一种疏离感,因为这个颜色基本上都是白、灰色调?
Editor: Seeing your painting, I have a look on feeling. As the color your painting was basically white and gray, do it have an alienated feeling?
王:对,色彩色调的灰白是一种主观的处理,这有两层意义:第一是,记忆感,像黑白照片一样会成为历史,它满足了建筑的时间特性;第二层是,去掉更多的色彩后会留下最本质的东西。它就是和我们有距离,虽然我们在现实的现在不能理清它,但最终会渐渐退掉绚烂的色彩,变成残缺的记忆痕迹。
Mr. Wang: Yes. I deal with the gray of color and toner subjective. Why? There are two meaning. The first: memorial feeling, like Black and white pictures had been the history; satisfy the time character of architecture. The second: more colors were got rid of and remain the best natural things. There is a distance between it and us. Though we cannot clear off it now, it would get rid of gorgeous colors the last and it become incomplete memorial marks.
艺术经纬:好像现在流行各种欧美风格?
Editor: It seems that verities Europe and America style were popular.
王:对,而且有的地方一条街上,左边是西班牙风格,右边是北美风格,在尽头上还有一个地中海风格。
Mr. Wang: Yes. The left is Spanish style, the right is North America style, and the end is the Mediterranean Sea style in a street someplace.
艺术经纬:这个挺……
Editor: It likes……
王:魔幻的。
Mr. Wang: It likes magic.
艺术经纬:那么他们是怎么形成的,是政府城市规划吗?还是……
Editor: How did they form? Did the government plan or……?
王:不是,都是开发商干的,实际上这是开发商的主意,因为他们是最早富起来这一部分人,他们就有机会经常出去玩,或者叫考察也好,澳洲啊,美国啊,欧洲啊这些,看到人家开游艇,喝香槟,晒日光浴,沙滩和阳光弄不回去,看看建筑,觉得还可以搞。然后回国告诉设计师:“我要把水库前面这块地变成黄金海岸!”设计师就想嘛,你付钱,我也不用动脑筋,傻了才不做,就按你的要求做。然后就……
Mr. Wang: No. the developer did it. Actually this is their idea. Because they are rich the early times, they often tour Austria, America and Europe or called exploration. They see driving yachts, drinking champagne and shining sunbath. The sun and beach in there cannot take. They think that they can copy architectures. They told designers: “I want to the land of reservoir become the golden coast.” The designers thought you pay money, I don’t need to think and it’s up to you .And then……
艺术经纬:设计师也成了“帮凶”,呵呵。
Editor: The designers became “accomplices”. Ha-ha.
王:对!有些设计师就是出于无奈,屈服于金钱的淫威,有的还有良心,会尽量做得不过分,但可悲的是,有些设计师本来就是些没文化的傻瓜!
Mr. Wang: Yes. Some designers had no choice. They yielded to the despotic power of money. Some had litter kind, did not it overdo. But some were fools that had no culture unfortunately.
艺术经纬:您的画有很多画小区的局部,那您平时对一个地方是一下子有一种感觉,还是经常路过那儿,对那儿慢慢形成有一种习惯?
Editor: You drew part of block in your painting. You had a feeling about a place quickly or formed a custom slowly often pass by there?
王:有两种,比如说我去好的小区的时候,绿化做得很好,而且那个房子密度也不大。住在里面的时候,就一下子失去判断,就想我住在这儿还是很舒服的,因为你和身边的其他环境比的话,这个肯定舒服,而且周围都是围墙围着,你觉得这儿特安全,有时候你就不会去想其他的文化问题:作为东方人到底应该住哪样的房子,怎样去生活。所以在有些角落,画有些局部的时候,我就觉得他就是一个符号,然后这个局部符号被反复播放,你每天经过,每天看,你就习惯了,然后他就形成你生活的一部分,你就会对它熟视无睹,你觉得这个是顺理成章的,是不加思索的东西。
Mr. Wang: There are two. For example, I went to a beautiful block, landscaping was better and the density of house was not big. Living here people would lack of judgments. They thought that it was comfortable that I live here. As you compare other environment, it was comfortable and you felt safe enclosed the wall. Sometimes you would not think other culture. As oriental we should live where how was houses and how to life. So some corner, when I was painting the part, I think it was a sign. This sign was play repeatedly. I see it everyday. I was used to it. It was a part in my life. I think it was natural thing.
艺术经纬:也就是说我们“被”放弃了判断?
Editor: That is we were given up the judgment.
王:对!人没判断的时候是很可怕的。
Mr. Wang: Yes. It is harmful that a person didn’t have judgment.
艺术经纬:这种没判断是不是也包含了他的理想,或者是对于物质的一种占有?他还没满足,算是人之常情,我觉得谁都会那样。
Editor: The person who didn’t have judgment that including his ideal or possess of material didn’t satisfy. I think many people would be the same.
王:是,所以这个是矛盾的嘛,一方面就是你没法抗拒,真的,但另外一个方面,你想抗拒它的时候,你找不到其他更好的办法!
Mr. Wang: Yeah. This is contradiction. One aspect, you didn’t resist; other aspect, you didn’t find a better way when you resisted
艺术经纬:你能描述一下我们现在的居住环境吗?
Editor: Could you describe the environment we live?
王:实际上我们现在的生活环境是很被动的,你在被人规划和设计。拿客厅为例,一套房最主要的房间是客厅。比如说一进室内,首先就是客厅,以前我们的家庭里面,改革开放以后,家里客厅有个电视墙,这个是最重要的家庭活动场所。过去,每天一家人吃完饭,从新闻联播开始,一直到韩剧、春晚,这是家庭的一个中心场所。然而房地产开发商觉得这个不对,这个太落后了,我们现在是要向先进学习,先进在哪儿,就在西方式的生活道具, 壁炉是很标志性的西方贵族道具。于是出现壁炉,最早的壁炉是假的,就是带装饰性的,火苗是塑料的那种,它不能发热的,后来慢慢档次就提高嘛,人家就不满足样式了,说一定要烧火,烧柴火,然后整个中心就变成这样,什么红酒啊,雪茄啊这些,慢慢加进来了。
Mr. Wang: Actually my life environment was inactive, it was planed and designed. Take the living room for an example, a living room is primary room in a house. When you enter into the house, the first eye is the living room. After accomplished the policy of reform and opening, a television wall was in it. It is the important active place. In the past, a family had supper and saw TV news, Korea TV play series, Spring Festival Entertainment Programme in the living room.
But the developer said it was out of time, we learn from the west. Fireplace is a label of the Nobel in the west. So it appeared in the living room. In the early it was fake and a decorated thing. The flame was made by plastic and it didn’t heat. Later it leveled. Other said be sure to use firewood. And then the living room had had red wine, cigar.
艺术经纬:这不是抄袭别人的生活吗?
Editor: Is it copy others life?
王:是啊,所以说中国是“山寨”大国!生活都“山寨”了。
Mr. Wang: Yes. So it is said that China is a “copy” big country! My life also is “copy”.
艺术经纬:现在很多中国人,好像挺习惯于别人来规划设计他的生活的?
Editor: Do many Chinese is used to others plan his life now?
王:对,很多人是一种被动状态。之所以我觉得这个有意思就是这个东西本来是,你不是主动在选择,你是被动地在选择,他就给你几种样式,而且现在更多的是西方的,包括有些后现代的建筑,他也是一种西方形式。那我们传统的东方的那种居住形态,他现在是不一样的。所以我在和他们聊,有的人看到那种筒子楼的时候,他说,哎呀,这就是我们以前住的地方。今后下一代就会觉得壁炉就是自己的记忆,
Mr. Wang: Yes. Many people were in inactive state. I think it was fun that you are chosen the thing that he offered. Mostly they were the west, including after-modern time architecture. Our traditional living form is difference from the west. When some people saw the tube-shaped apartment, he said: “This is we living the early.” The fireplace will be our memory the next generation.
艺术经纬:童年记忆?
Editor: Childhood memory?
王:对!童年记忆,实际上对于很多人来说的话,是一个集体记忆,那个时候我给他们说过,哪一家他有什么事儿,家里面有什么矛盾,吵架,一栋楼都知道了,哪家做了好吃的,大家都能闻到,吵架都能听到,哪家小孩听话不听话,或者成绩考了两个百分……这些都知道,那个时候是一种邻里关系。
Mr. Wang: Yes. It was childhood memory. Actually this is a group memory to many people. That time I said, all people living the apartment knew the family that had some conflicts. A family had delicious a dinner, all tasted it. Who family’s child is smart or not and pass the exam, grade double one hundred……these was known by all. It is a neighborhood relation.
艺术经纬:像集体生活一样?
Editor: Is it like group life?
王:对,但是现在别墅和别墅之间交流很少,更不用说单体楼的那种电梯公寓,像门对门你肯定不知道对方是做什么的,你除非是很主动地,有可能对方会主动拒绝。
Mr. Wang: Yes. But the people living in villa, they contact very rare. Living the department with elevate, you don’t know your neighbor’s job. Except you ask initiative, they would be rejected your question.
艺术经纬:对,有时候你主动地跟人说话,人家还不知道你要干嘛,他还有戒备,也就是点个头,“你好”,这样子还行,一跟他深聊他有时还觉得莫名其妙。
Editor: Yes. Some times you talk to other and he didn’t know what you do. He alerts you and nods his head say: “Hello!” if you talk deep, he would be strange.
王:对。所以他这个生活实际上被设计化了,人性被抹杀,是一种非东方的、非传统的一种方式来给你套,因为大家都崇尚西方的科技。中国在本世纪初就开始有发展论,想发展,像西方一样,朝西方学习,我认为发展需要同步。就是说经济与文化必须同步,一味地往前赶最后会迷失掉的。
Mr. Wang: Yes. His life was designed. His human nature was killed. It is non-oriental and non-traditional way. As many advocate western technology. China raised the theory of development in the early 20th century. It wants to develop, and learn from the west. I think that economy and culture must be developed together, if it progress forward, it would be lost.
艺术经纬:对,这样生活的人不在少数。
Editor: Yes. There have many.
王:对。
Mr. Wang: Yes.
艺术经纬:而且那种所谓的高端阶层有钱人,他们都在用这种方式生活,他们的追求,他们对生活的理想是被别人设计出来的,底层的人可能还挺羡慕这种生活。
Editor: The life way of many so called high-class the rich and their pursuit and dream were designed by other. Do many low class people admire their life?
王:对啊,大家都想往那个上面奔,然后他就是一种身份象征。
Mr. Wang: Right. Many people want to progress, and it is a symbol of status.
艺术经纬:发展是您一直以来关注的一个题材?
Editor: In terms of development, is it you pay attention to a theme?
王:应该是吧。
Mr. Wang: It should be.
公共景观中的人造痕迹
Man-made mark in public landscape
艺术经纬:您有一个阶段画庙堂系列,那个时候好像比较关注公共景观?
Editor: You have a stage painting temple series, and you paid more attention to public landscape at that time.
王:对,那个是公共景观,实际上他是一种集合,我觉得,他集合到一定形态的时候,就是一个影子嘛,是很多人的意志被极少数人决定,形成的一个建筑形态。建筑它有个特性,它不像其他东西,建筑相对来说,保留的时间非常长。您比如说随便我们找一栋房子,从修建开始,到它最后被推掉,至少是几十上百年的时间,有的会更长。人是生活在一个具体的环境里面的,
Mr. Wang: Yes. That is public landscape. The character of architecture is not like others, it keeps a long time relatively speaking. Take example for house, from it was build to was push over, it lasts from several decades to hundreds years, maybe it long. The people live in a concrete background.
艺术经纬:对,你看现在房价,弄得很多人人心惶惶的?
Editor: Yes. It is terrified that house price is high.
王:实际上租房和买房,从某种角度上来说的话,我觉得租房更合算,你算账的话。
Mr. Wang: Actually, renting and buying a house, from one point, I think it is fit to renting.
艺术经纬:但是像他们那种急,好像是一种没着没落,没根的那种?
Editor: But some are worried. Their feel like they don’t have a root.
王:对,觉得没有一个属于自己的东西,就拼命地想贷款也好,怎么也好,到处借钱也好,一定我要弄一个属于自己的房子。但这个房子你拿到以后,有年限的,感觉不一定是属于你的。当然,这个话题就扯得太远,扯到一些体制上的问题,制度上的问题,这个问题上,我觉得可以暂时不谈,因为这个是没法扭转的一个东西,但是建筑本身的形态(因为我是做建筑和景观设计的)这些角度来看的话,我觉得这个是人为可以改变的东西。也就是说在有生之年一定要好好过。
Mr. Wang: Yes. They think they have not own house. They request a loan or lend for a house. But the age of the house you get is limited. Of course, the issue is off the point. It is a question of system. Let me leave it. It doesn’t reverse. In terms of architecture’ shape, I think it is changeable by man. That is we should have a great life.
艺术经纬:你有一个《人造风景》系列,你对“人造景观”有什么现实印象吗?
Editor: You have "Man-made landscape" series painting, what the real impression of man-made landscape?
王:人造风景实际上画的主要是两批,一批是关于公路的,另外一批是关于人工林的,它们都是非自然的一个东西。你说公路的话,你能马上感觉到它是人工化的东西,但是人工林的话,你可能感觉不到它的人为因素在里面。我是去日本的时候看他们那个人工林,树完全是人为修剪,他为了成材嘛,长得越直越好,他需要把其他的分杈啊这些全砍掉,而且一个森林里面没有其他植物,其他的全被砍掉。这样一来树木开始报复性传播花粉,因为树是一样的,有雌性、有雄性,它也要交配,它自己要繁衍,但一个林子里可交配的资源少了,花粉就不得不四处扩散,最后就形成花粉蔓延,人跟着倒霉,呼吸进呼吸道形成花粉症,号称他们的“国民病”,每年日本得花粉症的比例好像20%。
Mr. Wang: Man-made landscape was painted two groups. One is highways. Other is man-made forests. They are not natural things. Many people can feel quickly that highways are man-made, but it isn’t easy to you that find that they are man-made forests. When I went to Japan, the trees were trimmed in order to its growing well. Its branches were chopped. There is no plant in the forest. Other plants were also chopped. The trees began to spread retaliatory the pollens. As the trees have female and male, they also need mating. And there are no mating plants, so the pollen had to spread. It led to pollen disease, also called “National illness”. The proportion of having pollen disease is 20% every year.
艺术经纬:它这种花粉,因为那个树的密度特别大吗,还是?
Editor: The pollen? Do the trees have especial large density or others?
王:这个完全是人为造成的,但是我们看那个人工林植树,现在,中国森林面积很小嘛,他就觉得人工的是很重要的一个东西。任何东西到了一定的程度,到了一个比例上面,过多或者一种极端的时候它就会变,这个就是一个例子。还有路的话,我觉得更多的是一种人为对本来这一块自然和文化的侵入,特别这次去西藏看见到处修路,今年10月份好像是西藏自治区成立60周年,然后要求几条线317、318等,全要改成非常好的路面。目前路途上还能看到野牦牛、藏羚羊和藏人天真的笑容。但随着道路的延伸,大量人流的涌入,这一切将不复存在。我们会失去最后的“香巴拉”。
Mr. Wang: It was totally man-made. As the area of forest in China is very small, we think man-made forest is very important. That something reaches a certain proportion is changed. It is an example. I think that building highway is an invasion of nature and culture. Especially I saw many highways were built anywhere in Tibet. October is the 60th anniversary of the Establishment of Tibet Autonomous Region this year. The government demands several line and line 318 and 317 are changed great highways. At present, wild yaks, antelopes and naive smile of Tibetan are seen in the way. With the extending of the highways, and the people booming, it is missing. We will lose the last “Shangri-La”.
艺术经纬:那块的藏民他们觉得怎样?
Editor: How do they think?
王:他们觉得好啊,就像现在我们觉得花园洋房好,高档别墅好一样。他们通过这个公路能看到从外面世界来的很多东西,人、车、流行音乐、汉堡包,以前是没有这些经验的,他们慢慢会有。这个是我们从发展论上面来说,他是一个进步,但是从另外角度上来说的话,他也是对当地的一些生态,人文宗教文化的破坏。
Mr. Wang: They think it is great. It like I think that foreign-style house and garden and villa are good. They can see many things, people, cars, pop music and Hamburg through the highways. They had not these experiences before, and they will have them gradually. In terms of the theory of development, it is a progress. At another point of view, it destroys ecology and humanity and religion culture of Tibet.
艺术经纬:西藏对你意味着什么?
Editor: What the meaning of Tibet to you?
王:我觉得它是一面镜子,能让你看到我们自己有多不净。
Mr. Wang: I think it is a mirror that it can see how we are dirty.
城市景观的中西方差异
The difference of the east and the west in city landscape
艺术经纬:人造的可能渗透在各方面了。您园林这个实际上画的不是中国的?
Editor: The Man-made thing could have penetrated many aspects. The garden you painting is not China, isn’t it?
王:不是,是日本的。
Mr. Wang: Yes. It is Japan.
艺术经纬:日本的园林好像比咱们还东方,他们也是造景,但是跟苏州的园林不太一样。
Editor: The garden of Japan is more traditional than that of China. They also made landscape, are not the same compare Suzhou garden.
王:也不能这样说,只是它保留下来的多,他也是造景,实际上我觉得性质是一样的,都是属于少部分人的,要么是有钱富贾,要么是皇宫贵族,他们想把他们理想中最好的大川大水,或者就是很美好的东西集中到自己的后院里面,独自占有它。苏州园林是典型的,还有就是日本的“枯山水”,还有其他的一些园林建筑,它都是这样。
Mr. Wang: You can’t say that. It just remains many. It made landscape. Actually, it belongs to few people that they are the rich and the Nobel. They want to put together all ideal mountain and water or beautiful things in their back garden. The garden of Suzhou is typical. “Ku shan shui” of Japan and other garden were man-made.
艺术经纬:也像公园一样对外开放的?
Editor: Is it open like ordinary garden?
王:在它建造之初绝对没有公共性考虑的,它们都在寺庙里面,皇宫里面,老百姓进不去的。
Mr. Wang: No. when it was build, public was not been consider. They were in the temple and imperial palace. Ordinary people cannot enter there.
艺术经纬:您经常去日本?
Editor: Do you often go to Japan?
王:对。
Mr. Wang: Yes.
艺术经纬:对那边有什么印象?
Editor: What impression do you have ?
王:印象?日本的文化,它的经济发展到很高的时候,它的文化艺术就变得不一样,我们现在所谓的当代艺术,更多的是批判性嘛,但是他们经济和社会发展到一定水平的时候,批判性显得很弱。
Mr. Wang: Impression? The culture and art of Japan become unlike when its economic developed high level. Our so called contemporary art now is more criticalness, but when economic and society developed a certain level, criticalness is weak.
艺术经纬:建设性的东西多一些?
Editor: Is more constructive?
王:他关注的东西不一样了。我们在中国建国几十年以来,关注的可能更多的是很纠结的社会矛盾,你说八十年代开始,什么政治波普啊玩世啊艳俗啊这些,他是站在一个批判的角度来说问题。但是日本它也有类似的东西,它目前已不是主流的东西,更多我们能看到的是他们在无对象地臆想一些东西,就是在想象一个在现实中不存在的东西,毫无社会针对性,只是一种自娱自乐的。 这个就是我认为的日本卡通的社会土壤。它在这种情况下形成,我称之为和谐艺术。我还写过一篇文章《和谐的表情》来说日本的当代艺术。
Mr. Wang: The Japan paid attention to different things. Since 1949, some social conflicts were paid attention to. Since the 80’s, politic Pope, bohemianism and raffish things were paid attention to, they was criticized. But the Japan has the resemble things, they are not mainstream. We can see that they image a thing that doesn’t exist in reality. It is enjoy itself. That is the social soil of Japan cartoon. I called it " Harmonious art".
I wrote an article "Harmonious express" about Japanese contemporary art.
艺术经纬:每个人都可以造梦了?
Editor: Do everybody made a dream?
王:对,实际上更多的是梦幻的一种东西,他是设计人的那种形态、外形,他是按自己的要求在创造,他不是现实主义的东西,因为你说现实,说历史,你肯定是在审视它,对它有要求,甚至是批判性的,但是这一类东西,卡通这一类的东西,他就完全不一样。
Mr. Wang: Yes. Actually it is a more dreamlike thing. It designs people’s form and figure. It innovates according to its need, and it is not a real thing. It is reality and history; you survey it and demand it and critic. But cartoon isn’t the same.
艺术经纬:感觉起来,他无论是对自己的还是对别人是有信心的?
Editor: It was confidence to itself and other. Wasn’t it?
王:我接触他们,对艺术家,这个说实话,他们既崇拜又不屑一顾,他们认为艺术家是很少的一部分人能当职业玩儿的。因为他们的普世价值是奉献,奉献给社会,最好的办法你就去上班啊,你去当工人、营业员啊,所以日语里叫他们“社会人”。
Mr. Wang: I touched them. To artist, actually, they admire them and do not worth a single glance. They think that litter artist to do art that can be a professional. Because their value is devotion, it devotes the society. The best way is tihat you go to work, and as worker and shop girl. So they called “Social man” in Japanese.
艺术经纬:你觉得搞艺术还是奉献得太少?
Editor: Do you think artist devote litter?
王:对,实际上这不是一种社会分工,而是社会在养你,一种自私的选择,比如说当年我考四川美术学院附中很大个原因是文化成绩不好,只有附中好考,现在的艺术院校考生不都一样,所以我从来就没觉得自己搞艺术有什么了不起,我只是把画画当作一种解脱办法和独善其身的修行方式.
Mr. Wang: Yes. In fact this is not social division of labor, but the society bring you and a selfish choice. For example, I entered myself for attached middle school of Sichun Academy of Art examination. My cultural grade was not good and had to choice it. Now art schools students are the same. So I don’t think that I do art is amazing. I just regard it as a way of extricate myself and the way that was righteous alone in a community where the general moral tone is low.
艺术经纬:那你怎么看当代艺术圈?
Editor: How do you think contemporary art circle?
王:这圈鱼龙混杂,大都是在“混口饭吃”罢了!
Mr. Wang: The art circle is like dragons and fishes jumbled together. They are just earning their bread.
回到绘画依然对景观敏感
Back to painting and still sensitive to the landscape
艺术经纬:我刚才一直想问,这个铜元局是?
Editor: Editor: I’d like to ask what the Tongyuanju is just now.
王:铜元局是重庆南岸区江边的很老的一个区域,是地名。可能你没有住过这种房子。应该是六七十年代的一个标准建筑形式,楼不高,一般是七层以内,有的一般是五层、六层这种,单位修的,在这里面,我说的刚才那种邻里关系啊这种,他就是在这个生活状态。
Mr.Wang: Tongyuanju is a geographic name, which is very old area of on the side of the river in Nan’an district of Chonqing. Maybe you have not lived in such house. It should be the standard architectural form of sixties and seventies, that is, no high buildings, usually seven floors or less, and some are usually five or six floors, built by units. Here, the neighborhood I mentioned just now is this living state.
艺术经纬:他就是一种圆顶房子,是不是为了排水?
Editor: It’s a dome house, is its intention for drainage?
王:一个是防水,第二个是隔热,有拱形,它能通风嘛,对,能通风。
Mr.Wang: One is waterproof, and other is insulation and with arches. The arches can be used ventilation. Yes, it can.
艺术经纬:这种房屋在重庆是挺多的,还是说那个时间段比较多?
Editor: Were there many this kind of house in Chongqing, or were there many at that time?
王:以前是全国都很多。这种一般是国营企业,以前国营大的企业他修职工宿舍,基本上按这个来修。因为重庆以前是工业城市,以前很多地方都有,现在快拆完了。
Mr.Wang: There were many houses all over the country before and generally built by state-owned enterprises. The staff dormitories were basically built according to such form by the large state-owned enterprises before. As an industrial city previously, there were distributed throughout many places in Chongqing and now they were pushed down nearly.
艺术经纬:可能是那个时候的一种流行的样式吧?
Editor: Maybe it was a popular style at that moment, wasn’t it?
王:对,那个时候的产物,也是我们居住记忆的一部分。
Mr.Wang: Yes, it was the product of that time and also one part of our living memory.
艺术经纬:那这个师家沟是哪儿的?
Editor: Then where were the Shijiagou?
王:师家沟是山西的一个窑洞建筑,实际上它就是一个坡地建筑,是在一个山沟里面随地势做的一个建筑。这个建筑我觉得是很好的一个就地用材,比如这儿没有什么树,他就尽量少用木头,就用砖和泥两种材料来做,还加一些石头。而且他们那种院和院之间那种交通梳理啊,让你觉得设计得非常人性,非常人性的。
Mr.Wang: Shijiagou is a cave dwelling building in Shanxi, in fact it is a hillside building which located in a valley with the terrain. I think it is well done to obtain materials from local sources, for example, there are little tree here, then it minimize the use of wood and used brick and mud, and added some stones. Furthermore, you will feel the design of arrangement of traffic among yards is humanistic very much.
艺术经纬:它这个很快出来的,还是慢慢形成的?
Editor: Was it formed quickly or gradually?
王:这个应该是清代到民国时期的建筑。
Mr.Wang: This should be the contracture from Qing Dynasty to the Republic of China.
艺术经纬:民间慢慢形成的?
Editor: Was it formed gradually among the folk?
王:对,民间慢慢形成的。他里面能看到那种传统中国建筑里面的一些伦理道德的东西,就是一个家庭里面,比如正堂、厢房这些东西,我觉得这个就是中国,是中国传统的东西。
Mr.Wang:Yes, it was. We can see that it reflected Chinese ethical in traditional Chinese architecture. That is, there were, for example, something like antechamber and wing-rooms in a family, which is Chinese traditional things, I think.
艺术经纬:看起来不像四合院那么规矩?
Editor: Doesn’t it look like courtyard well-disciplined?
王: 看起来不像四合院那么规矩,但错乱中有规矩章法,因为山西他那个地方,可能也受一些环境、材料的限制,他也要有居住,而且山西的很多建筑是做得很好的,包括那个乔家大院啊这些。
Mr.Wang: Though it does not look like courtyard well-disciplined, there are rules and composition in disorder, such place of Shanxi, may also be affected by some environmental constraints, material constraints, they also have to build for living, and many buildings of Shanxi are well done, including these such as the Qiao Family Courtyard.
艺术经纬:对对对,我去看过,而且乔家大院很大。
Editor: Right, I have gone to see it and it is large.
王: 那个是其中一个大家。我画的师家沟它就是一个村,都是差不多大小的房子 。
Mr.Wang: That is one of the large courtyards. The Shijiagou I painted is a village, and all houses are almost the same size.
艺术经纬:但是互相结合的就特别好?
Editor: But is the combination with each other particularly good?
王:对,结合得非常好,因为重庆是坡地嘛,我们在设计的时候,就会考虑到坡地建筑的一些,就是交通梳理啊这些东西,我一看人家梳理得很好,一百年前就做得很好了。
Mr.Wang: Yes, it is. Because there are many hill slopes in Chongqing, when we designed, we would have to take into account something of the slope building, this was, these things such as traffic arrangement, and I find it was done well one hundred year ago.
艺术经纬:而且他不是属于那种一家隔一个大院,都挨着。
Editor: And they are near each other and not separated by a country yard.
王:都挨着的,有的共用一个墙,而且他取水、排水这些都很合理的。
Mr.Wang: All next to. Some share a wall, and getting water and drainage are all reasonable.
艺术经纬:您也比较关心这种像什么新闻事件,或者是?
Editor: You also pay attention to news and events, or like this, are you?
王:我觉得新闻是历史发展的节点事件,历史在发展,就会不断有新闻发生。我想用我的价值观来分析过滤过去和现在所发生的节点事件,比如说我画《登月》,实际上是对人类科技发展的一个悖论,我们自身所处的地球是否已经容不下我们人类自身,要是月球住满人类后,被人类糟蹋后又怎么办?
Mr. Wang: I think the news is a node event in the history development. As the history development, the news would be come out. I want to analyze the node of the past and now using my value. For example, I painted "Ascend the moon"; actually it was a paradox of human technology development. Whether the earth we live can’t hold us, we want to the moon to live. The moon would be destroyed, how should we do?
艺术经纬:那个时候怎么想到从景观设计转到今天的绘画的?
Editor: How did you transform from landscape design at that time to painting now?
王:我以前是川美油画专业毕业的啊,算是老本行。
Mr. Wang: I graduated oil painting of Sichun Academy of Art. It is my major.
艺术经纬:你是偶然间回来的吗,还是?
Editor: Did you do art by chance or ……?
王:07年初到北京见朋友,被“忽悠”来了(哈哈)。突然想通了吧。以前是做生意嘛,做生意你就会遇到很多让你不开心的事情。但不是说挣不到钱,肯定能挣到钱,但是你会放弃很多,你的原则,你对人的喜好,有的你很讨厌他,但是他是甲方,他有权利,你会牺牲这些东西,我想我现在差不多了,不想再牺牲了。
Mr. Wang: I visited my friend to Beijing in the early 2007. I was cheated. I think clear suddenly. Before doing a business, I faced many unhappy things. It is not said that I didn’t earn money, but I gave up my principal and hobby. Some times you hate him, but he was part A and he had a power, I could scarify something. I thought it was enough and I didn’t scarify again.
艺术经纬:这也算是一种交换啊,好像貌似必须要忍受一下,然后才能得到钱?
Editor: Is that an exchange? You must be bear and then you can get the money.
王:对啊,对。你们做杂志也是经营,你也知道。
Mr. Wang: Yeah. You know, that you run magazine also is business.
艺术经纬:我做这个是因为我觉得那边能挣到钱,我这边就能够坚持着做艺术,但是如果单纯在这儿扛着,我觉得扛不了多久。
Editor: I do it in order to earn money. I think I can earn money there, I can insist do art here. If only I do this, I would be break down.
王:我以前比较极端,要做的话,我肯定要做到最好。我们设计公司,也是在重庆很有名的一个设计公司,我一旦对做事较上劲,就会争个输赢。现在看来有点死磕!
Mr. Wang: I was extreme a little bit before, if I can do it, I would do the best. Our design company is a famous company in Chongqing. Once I do it serious, I would contend win or lost. It seemed that it too rigid.
艺术经纬:我觉得还是搞艺术的人一旦做一件事情,他对品质的要求是不一样的,您是做了多长时间,现在还在做,是吧?
Editor: I think that an artist once do a thing, he demand for quality isn’t the same. You do art a long time and you have been doing, don’t you?
王:现在我完全放下了。
Mr. Wang: Now I completely give up.
艺术经纬:现在是一个比较平静、单纯的状态。
Editor: I am in a quite and pure state.
王:对,现在就只是画画,也到处走,因为那时候你在地方上做事情,手机随时要开着,要随时让人家找到你,你要在场,你出去玩的时间基本上没有,实际上比在单位还恼火,单位还会放假,老师更好,有暑假寒假,完全属于自己了,那时候做生意是不行的,你必须待在那儿,盯在那儿,没时间让你出去,我是很想走动的一个人,所以我到北京以后,我就一个人开车去山西啊,甘肃啊,西藏啊,一个人开车到这些地方到处转悠。
Mr. Wang: Yes. I only paint and go somewhere. As I was businessman, my cell phone switched on anytime. I had not time to play. Actually I was angrier in the company than I was the unit. If the unit had summer and spring holidays, the time is belong to you. But I run a company. I must stay the spot and look after. I like tour. After coming Beijing, I drove to Shanxi province, Gansu province and Tibet by myself to tour.
艺术经纬:到这些地方,您还是对一些景观感触比较深吧?
Editor: When you went to these places, you also are sensitive to landscape. Didn’t you?
王:我对这个敏感,所以一看就能打动我,可能我对其他的,比如说我对人,还没有到这个程度,虽然我建筑景观的内在主体是人,对人肯定有兴趣,最近我开始有想法把人作为绘画主体。
Mr. Wang: I am sensitive to it. So it can be moved me. Maybe I am not sensitive to other things or people. Though inner main body of architecture landscape is people, I am also interested people. I am thinking that I start paint people mainly recently.
艺术经纬:很期待你的新作!
Editor: I am looking forward you new works!
王:好的,我也希望有新的东西出现。
Mr. Wang: Yeah. I hope so!
Wang Haichuan:
Fading City Landscape, Virtual “Human Nature” Scene
王海川是一位把目光投向城市居住环境的艺术家,早年景观设计的工作经历,使他对周边正在变化着的城市景观有着持续的敏感。那些被设计的人性,人造的风景,公共化的权利象征,无人的小区院景,在城市发展的历史变迁中产生分化。人类对改变自身生活环境的努力,是否正在逐渐褪去它应有的颜色?
Wang Haichuan is an artist who devoted his mind to city living environment. As having landscape designed work experience in his early, he has continuous sensitive to changing city landscape around him. The designed human nature, man-made scene, the symbol of public power and no person block scene were divided in the city development history. Whether the efforts that human being changed their own living environment has been taking off the integral color gradually.
城市景观设计,私人生活环境
City landscape design, personal life environment
艺术经纬:这次展览上的是最近的作品吗?
Editor: Is the late works in this exhibition?
王:应该是我2008到今年的作品。
Mr. Wang: It was my works from 2008 to this year.
艺术经纬:您是哪年到的北京?
Editor: Which year did you come to Beijing?
王:08年初。
Mr. Wang: The early of 2008.
艺术经纬:这一阶段的作品都在这个展览里了?
Editor: Are the stage works in the exhibition?
王:对,大部分。
Mr. Wang: Yes. Most.
艺术经纬:来北京前你在干什么?
Editor: What did you do before that?
王:之前是在重庆,搞景观设计公司。
Mr. Wang: I run a landscape design company in Chongqing city.
艺术经纬:什么时候开始转向绘画的?
Editor: When did you transform painting?
王:2007年吧。
Mr. Wang: 2007.
艺术经纬:能谈谈你的设计工作吗?
Editor: Could you tell me about your design work?
王:我开的是景观设计公司,对于那种小区啊,住宅环境这些接触得比较多,自然各色客户也见识不少。重庆直辖以后,地产开发很热嘛,就有很多项目,但设计过程中所有客户都要求我们把他们的项目设计成为美国、西班牙和日本的,再瞧瞧他们长得都不像这些地方的人种,也就是说我干了几年“伤天害理”的事情,直到终于有一天“良心发现”,想挽回点什么,于是在07年决定关掉公司,我捡起画笔,把很多对建筑,对环境的感受表达出来。
Mr. Wang: I run a landscape design company. I touched many blocks and the house environment. I contacted variety customers. Chongqing had be a municipality directly under the Central Government. The real estates were developed overheat and there were many projects. All customers demand us that their projects were designed America, Spanish and Japan style. You know, their faces were not foreign ethnic group. That is, I had done bad things several years. Until my found my conscience, I should do good things. So I closed down my company in 2007. I took my brush to express the feeling about architecture and environment.
艺术经纬:但是看您的画面是种旁观的感觉,这里面是不是有一种疏离感,因为这个颜色基本上都是白、灰色调?
Editor: Seeing your painting, I have a look on feeling. As the color your painting was basically white and gray, do it have an alienated feeling?
王:对,色彩色调的灰白是一种主观的处理,这有两层意义:第一是,记忆感,像黑白照片一样会成为历史,它满足了建筑的时间特性;第二层是,去掉更多的色彩后会留下最本质的东西。它就是和我们有距离,虽然我们在现实的现在不能理清它,但最终会渐渐退掉绚烂的色彩,变成残缺的记忆痕迹。
Mr. Wang: Yes. I deal with the gray of color and toner subjective. Why? There are two meaning. The first: memorial feeling, like Black and white pictures had been the history; satisfy the time character of architecture. The second: more colors were got rid of and remain the best natural things. There is a distance between it and us. Though we cannot clear off it now, it would get rid of gorgeous colors the last and it become incomplete memorial marks.
艺术经纬:好像现在流行各种欧美风格?
Editor: It seems that verities Europe and America style were popular.
王:对,而且有的地方一条街上,左边是西班牙风格,右边是北美风格,在尽头上还有一个地中海风格。
Mr. Wang: Yes. The left is Spanish style, the right is North America style, and the end is the Mediterranean Sea style in a street someplace.
艺术经纬:这个挺……
Editor: It likes……
王:魔幻的。
Mr. Wang: It likes magic.
艺术经纬:那么他们是怎么形成的,是政府城市规划吗?还是……
Editor: How did they form? Did the government plan or……?
王:不是,都是开发商干的,实际上这是开发商的主意,因为他们是最早富起来这一部分人,他们就有机会经常出去玩,或者叫考察也好,澳洲啊,美国啊,欧洲啊这些,看到人家开游艇,喝香槟,晒日光浴,沙滩和阳光弄不回去,看看建筑,觉得还可以搞。然后回国告诉设计师:“我要把水库前面这块地变成黄金海岸!”设计师就想嘛,你付钱,我也不用动脑筋,傻了才不做,就按你的要求做。然后就……
Mr. Wang: No. the developer did it. Actually this is their idea. Because they are rich the early times, they often tour Austria, America and Europe or called exploration. They see driving yachts, drinking champagne and shining sunbath. The sun and beach in there cannot take. They think that they can copy architectures. They told designers: “I want to the land of reservoir become the golden coast.” The designers thought you pay money, I don’t need to think and it’s up to you .And then……
艺术经纬:设计师也成了“帮凶”,呵呵。
Editor: The designers became “accomplices”. Ha-ha.
王:对!有些设计师就是出于无奈,屈服于金钱的淫威,有的还有良心,会尽量做得不过分,但可悲的是,有些设计师本来就是些没文化的傻瓜!
Mr. Wang: Yes. Some designers had no choice. They yielded to the despotic power of money. Some had litter kind, did not it overdo. But some were fools that had no culture unfortunately.
艺术经纬:您的画有很多画小区的局部,那您平时对一个地方是一下子有一种感觉,还是经常路过那儿,对那儿慢慢形成有一种习惯?
Editor: You drew part of block in your painting. You had a feeling about a place quickly or formed a custom slowly often pass by there?
王:有两种,比如说我去好的小区的时候,绿化做得很好,而且那个房子密度也不大。住在里面的时候,就一下子失去判断,就想我住在这儿还是很舒服的,因为你和身边的其他环境比的话,这个肯定舒服,而且周围都是围墙围着,你觉得这儿特安全,有时候你就不会去想其他的文化问题:作为东方人到底应该住哪样的房子,怎样去生活。所以在有些角落,画有些局部的时候,我就觉得他就是一个符号,然后这个局部符号被反复播放,你每天经过,每天看,你就习惯了,然后他就形成你生活的一部分,你就会对它熟视无睹,你觉得这个是顺理成章的,是不加思索的东西。
Mr. Wang: There are two. For example, I went to a beautiful block, landscaping was better and the density of house was not big. Living here people would lack of judgments. They thought that it was comfortable that I live here. As you compare other environment, it was comfortable and you felt safe enclosed the wall. Sometimes you would not think other culture. As oriental we should live where how was houses and how to life. So some corner, when I was painting the part, I think it was a sign. This sign was play repeatedly. I see it everyday. I was used to it. It was a part in my life. I think it was natural thing.
艺术经纬:也就是说我们“被”放弃了判断?
Editor: That is we were given up the judgment.
王:对!人没判断的时候是很可怕的。
Mr. Wang: Yes. It is harmful that a person didn’t have judgment.
艺术经纬:这种没判断是不是也包含了他的理想,或者是对于物质的一种占有?他还没满足,算是人之常情,我觉得谁都会那样。
Editor: The person who didn’t have judgment that including his ideal or possess of material didn’t satisfy. I think many people would be the same.
王:是,所以这个是矛盾的嘛,一方面就是你没法抗拒,真的,但另外一个方面,你想抗拒它的时候,你找不到其他更好的办法!
Mr. Wang: Yeah. This is contradiction. One aspect, you didn’t resist; other aspect, you didn’t find a better way when you resisted
艺术经纬:你能描述一下我们现在的居住环境吗?
Editor: Could you describe the environment we live?
王:实际上我们现在的生活环境是很被动的,你在被人规划和设计。拿客厅为例,一套房最主要的房间是客厅。比如说一进室内,首先就是客厅,以前我们的家庭里面,改革开放以后,家里客厅有个电视墙,这个是最重要的家庭活动场所。过去,每天一家人吃完饭,从新闻联播开始,一直到韩剧、春晚,这是家庭的一个中心场所。然而房地产开发商觉得这个不对,这个太落后了,我们现在是要向先进学习,先进在哪儿,就在西方式的生活道具, 壁炉是很标志性的西方贵族道具。于是出现壁炉,最早的壁炉是假的,就是带装饰性的,火苗是塑料的那种,它不能发热的,后来慢慢档次就提高嘛,人家就不满足样式了,说一定要烧火,烧柴火,然后整个中心就变成这样,什么红酒啊,雪茄啊这些,慢慢加进来了。
Mr. Wang: Actually my life environment was inactive, it was planed and designed. Take the living room for an example, a living room is primary room in a house. When you enter into the house, the first eye is the living room. After accomplished the policy of reform and opening, a television wall was in it. It is the important active place. In the past, a family had supper and saw TV news, Korea TV play series, Spring Festival Entertainment Programme in the living room.
But the developer said it was out of time, we learn from the west. Fireplace is a label of the Nobel in the west. So it appeared in the living room. In the early it was fake and a decorated thing. The flame was made by plastic and it didn’t heat. Later it leveled. Other said be sure to use firewood. And then the living room had had red wine, cigar.
艺术经纬:这不是抄袭别人的生活吗?
Editor: Is it copy others life?
王:是啊,所以说中国是“山寨”大国!生活都“山寨”了。
Mr. Wang: Yes. So it is said that China is a “copy” big country! My life also is “copy”.
艺术经纬:现在很多中国人,好像挺习惯于别人来规划设计他的生活的?
Editor: Do many Chinese is used to others plan his life now?
王:对,很多人是一种被动状态。之所以我觉得这个有意思就是这个东西本来是,你不是主动在选择,你是被动地在选择,他就给你几种样式,而且现在更多的是西方的,包括有些后现代的建筑,他也是一种西方形式。那我们传统的东方的那种居住形态,他现在是不一样的。所以我在和他们聊,有的人看到那种筒子楼的时候,他说,哎呀,这就是我们以前住的地方。今后下一代就会觉得壁炉就是自己的记忆,
Mr. Wang: Yes. Many people were in inactive state. I think it was fun that you are chosen the thing that he offered. Mostly they were the west, including after-modern time architecture. Our traditional living form is difference from the west. When some people saw the tube-shaped apartment, he said: “This is we living the early.” The fireplace will be our memory the next generation.
艺术经纬:童年记忆?
Editor: Childhood memory?
王:对!童年记忆,实际上对于很多人来说的话,是一个集体记忆,那个时候我给他们说过,哪一家他有什么事儿,家里面有什么矛盾,吵架,一栋楼都知道了,哪家做了好吃的,大家都能闻到,吵架都能听到,哪家小孩听话不听话,或者成绩考了两个百分……这些都知道,那个时候是一种邻里关系。
Mr. Wang: Yes. It was childhood memory. Actually this is a group memory to many people. That time I said, all people living the apartment knew the family that had some conflicts. A family had delicious a dinner, all tasted it. Who family’s child is smart or not and pass the exam, grade double one hundred……these was known by all. It is a neighborhood relation.
艺术经纬:像集体生活一样?
Editor: Is it like group life?
王:对,但是现在别墅和别墅之间交流很少,更不用说单体楼的那种电梯公寓,像门对门你肯定不知道对方是做什么的,你除非是很主动地,有可能对方会主动拒绝。
Mr. Wang: Yes. But the people living in villa, they contact very rare. Living the department with elevate, you don’t know your neighbor’s job. Except you ask initiative, they would be rejected your question.
艺术经纬:对,有时候你主动地跟人说话,人家还不知道你要干嘛,他还有戒备,也就是点个头,“你好”,这样子还行,一跟他深聊他有时还觉得莫名其妙。
Editor: Yes. Some times you talk to other and he didn’t know what you do. He alerts you and nods his head say: “Hello!” if you talk deep, he would be strange.
王:对。所以他这个生活实际上被设计化了,人性被抹杀,是一种非东方的、非传统的一种方式来给你套,因为大家都崇尚西方的科技。中国在本世纪初就开始有发展论,想发展,像西方一样,朝西方学习,我认为发展需要同步。就是说经济与文化必须同步,一味地往前赶最后会迷失掉的。
Mr. Wang: Yes. His life was designed. His human nature was killed. It is non-oriental and non-traditional way. As many advocate western technology. China raised the theory of development in the early 20th century. It wants to develop, and learn from the west. I think that economy and culture must be developed together, if it progress forward, it would be lost.
艺术经纬:对,这样生活的人不在少数。
Editor: Yes. There have many.
王:对。
Mr. Wang: Yes.
艺术经纬:而且那种所谓的高端阶层有钱人,他们都在用这种方式生活,他们的追求,他们对生活的理想是被别人设计出来的,底层的人可能还挺羡慕这种生活。
Editor: The life way of many so called high-class the rich and their pursuit and dream were designed by other. Do many low class people admire their life?
王:对啊,大家都想往那个上面奔,然后他就是一种身份象征。
Mr. Wang: Right. Many people want to progress, and it is a symbol of status.
艺术经纬:发展是您一直以来关注的一个题材?
Editor: In terms of development, is it you pay attention to a theme?
王:应该是吧。
Mr. Wang: It should be.
公共景观中的人造痕迹
Man-made mark in public landscape
艺术经纬:您有一个阶段画庙堂系列,那个时候好像比较关注公共景观?
Editor: You have a stage painting temple series, and you paid more attention to public landscape at that time.
王:对,那个是公共景观,实际上他是一种集合,我觉得,他集合到一定形态的时候,就是一个影子嘛,是很多人的意志被极少数人决定,形成的一个建筑形态。建筑它有个特性,它不像其他东西,建筑相对来说,保留的时间非常长。您比如说随便我们找一栋房子,从修建开始,到它最后被推掉,至少是几十上百年的时间,有的会更长。人是生活在一个具体的环境里面的,
Mr. Wang: Yes. That is public landscape. The character of architecture is not like others, it keeps a long time relatively speaking. Take example for house, from it was build to was push over, it lasts from several decades to hundreds years, maybe it long. The people live in a concrete background.
艺术经纬:对,你看现在房价,弄得很多人人心惶惶的?
Editor: Yes. It is terrified that house price is high.
王:实际上租房和买房,从某种角度上来说的话,我觉得租房更合算,你算账的话。
Mr. Wang: Actually, renting and buying a house, from one point, I think it is fit to renting.
艺术经纬:但是像他们那种急,好像是一种没着没落,没根的那种?
Editor: But some are worried. Their feel like they don’t have a root.
王:对,觉得没有一个属于自己的东西,就拼命地想贷款也好,怎么也好,到处借钱也好,一定我要弄一个属于自己的房子。但这个房子你拿到以后,有年限的,感觉不一定是属于你的。当然,这个话题就扯得太远,扯到一些体制上的问题,制度上的问题,这个问题上,我觉得可以暂时不谈,因为这个是没法扭转的一个东西,但是建筑本身的形态(因为我是做建筑和景观设计的)这些角度来看的话,我觉得这个是人为可以改变的东西。也就是说在有生之年一定要好好过。
Mr. Wang: Yes. They think they have not own house. They request a loan or lend for a house. But the age of the house you get is limited. Of course, the issue is off the point. It is a question of system. Let me leave it. It doesn’t reverse. In terms of architecture’ shape, I think it is changeable by man. That is we should have a great life.
艺术经纬:你有一个《人造风景》系列,你对“人造景观”有什么现实印象吗?
Editor: You have "Man-made landscape" series painting, what the real impression of man-made landscape?
王:人造风景实际上画的主要是两批,一批是关于公路的,另外一批是关于人工林的,它们都是非自然的一个东西。你说公路的话,你能马上感觉到它是人工化的东西,但是人工林的话,你可能感觉不到它的人为因素在里面。我是去日本的时候看他们那个人工林,树完全是人为修剪,他为了成材嘛,长得越直越好,他需要把其他的分杈啊这些全砍掉,而且一个森林里面没有其他植物,其他的全被砍掉。这样一来树木开始报复性传播花粉,因为树是一样的,有雌性、有雄性,它也要交配,它自己要繁衍,但一个林子里可交配的资源少了,花粉就不得不四处扩散,最后就形成花粉蔓延,人跟着倒霉,呼吸进呼吸道形成花粉症,号称他们的“国民病”,每年日本得花粉症的比例好像20%。
Mr. Wang: Man-made landscape was painted two groups. One is highways. Other is man-made forests. They are not natural things. Many people can feel quickly that highways are man-made, but it isn’t easy to you that find that they are man-made forests. When I went to Japan, the trees were trimmed in order to its growing well. Its branches were chopped. There is no plant in the forest. Other plants were also chopped. The trees began to spread retaliatory the pollens. As the trees have female and male, they also need mating. And there are no mating plants, so the pollen had to spread. It led to pollen disease, also called “National illness”. The proportion of having pollen disease is 20% every year.
艺术经纬:它这种花粉,因为那个树的密度特别大吗,还是?
Editor: The pollen? Do the trees have especial large density or others?
王:这个完全是人为造成的,但是我们看那个人工林植树,现在,中国森林面积很小嘛,他就觉得人工的是很重要的一个东西。任何东西到了一定的程度,到了一个比例上面,过多或者一种极端的时候它就会变,这个就是一个例子。还有路的话,我觉得更多的是一种人为对本来这一块自然和文化的侵入,特别这次去西藏看见到处修路,今年10月份好像是西藏自治区成立60周年,然后要求几条线317、318等,全要改成非常好的路面。目前路途上还能看到野牦牛、藏羚羊和藏人天真的笑容。但随着道路的延伸,大量人流的涌入,这一切将不复存在。我们会失去最后的“香巴拉”。
Mr. Wang: It was totally man-made. As the area of forest in China is very small, we think man-made forest is very important. That something reaches a certain proportion is changed. It is an example. I think that building highway is an invasion of nature and culture. Especially I saw many highways were built anywhere in Tibet. October is the 60th anniversary of the Establishment of Tibet Autonomous Region this year. The government demands several line and line 318 and 317 are changed great highways. At present, wild yaks, antelopes and naive smile of Tibetan are seen in the way. With the extending of the highways, and the people booming, it is missing. We will lose the last “Shangri-La”.
艺术经纬:那块的藏民他们觉得怎样?
Editor: How do they think?
王:他们觉得好啊,就像现在我们觉得花园洋房好,高档别墅好一样。他们通过这个公路能看到从外面世界来的很多东西,人、车、流行音乐、汉堡包,以前是没有这些经验的,他们慢慢会有。这个是我们从发展论上面来说,他是一个进步,但是从另外角度上来说的话,他也是对当地的一些生态,人文宗教文化的破坏。
Mr. Wang: They think it is great. It like I think that foreign-style house and garden and villa are good. They can see many things, people, cars, pop music and Hamburg through the highways. They had not these experiences before, and they will have them gradually. In terms of the theory of development, it is a progress. At another point of view, it destroys ecology and humanity and religion culture of Tibet.
艺术经纬:西藏对你意味着什么?
Editor: What the meaning of Tibet to you?
王:我觉得它是一面镜子,能让你看到我们自己有多不净。
Mr. Wang: I think it is a mirror that it can see how we are dirty.
城市景观的中西方差异
The difference of the east and the west in city landscape
艺术经纬:人造的可能渗透在各方面了。您园林这个实际上画的不是中国的?
Editor: The Man-made thing could have penetrated many aspects. The garden you painting is not China, isn’t it?
王:不是,是日本的。
Mr. Wang: Yes. It is Japan.
艺术经纬:日本的园林好像比咱们还东方,他们也是造景,但是跟苏州的园林不太一样。
Editor: The garden of Japan is more traditional than that of China. They also made landscape, are not the same compare Suzhou garden.
王:也不能这样说,只是它保留下来的多,他也是造景,实际上我觉得性质是一样的,都是属于少部分人的,要么是有钱富贾,要么是皇宫贵族,他们想把他们理想中最好的大川大水,或者就是很美好的东西集中到自己的后院里面,独自占有它。苏州园林是典型的,还有就是日本的“枯山水”,还有其他的一些园林建筑,它都是这样。
Mr. Wang: You can’t say that. It just remains many. It made landscape. Actually, it belongs to few people that they are the rich and the Nobel. They want to put together all ideal mountain and water or beautiful things in their back garden. The garden of Suzhou is typical. “Ku shan shui” of Japan and other garden were man-made.
艺术经纬:也像公园一样对外开放的?
Editor: Is it open like ordinary garden?
王:在它建造之初绝对没有公共性考虑的,它们都在寺庙里面,皇宫里面,老百姓进不去的。
Mr. Wang: No. when it was build, public was not been consider. They were in the temple and imperial palace. Ordinary people cannot enter there.
艺术经纬:您经常去日本?
Editor: Do you often go to Japan?
王:对。
Mr. Wang: Yes.
艺术经纬:对那边有什么印象?
Editor: What impression do you have ?
王:印象?日本的文化,它的经济发展到很高的时候,它的文化艺术就变得不一样,我们现在所谓的当代艺术,更多的是批判性嘛,但是他们经济和社会发展到一定水平的时候,批判性显得很弱。
Mr. Wang: Impression? The culture and art of Japan become unlike when its economic developed high level. Our so called contemporary art now is more criticalness, but when economic and society developed a certain level, criticalness is weak.
艺术经纬:建设性的东西多一些?
Editor: Is more constructive?
王:他关注的东西不一样了。我们在中国建国几十年以来,关注的可能更多的是很纠结的社会矛盾,你说八十年代开始,什么政治波普啊玩世啊艳俗啊这些,他是站在一个批判的角度来说问题。但是日本它也有类似的东西,它目前已不是主流的东西,更多我们能看到的是他们在无对象地臆想一些东西,就是在想象一个在现实中不存在的东西,毫无社会针对性,只是一种自娱自乐的。 这个就是我认为的日本卡通的社会土壤。它在这种情况下形成,我称之为和谐艺术。我还写过一篇文章《和谐的表情》来说日本的当代艺术。
Mr. Wang: The Japan paid attention to different things. Since 1949, some social conflicts were paid attention to. Since the 80’s, politic Pope, bohemianism and raffish things were paid attention to, they was criticized. But the Japan has the resemble things, they are not mainstream. We can see that they image a thing that doesn’t exist in reality. It is enjoy itself. That is the social soil of Japan cartoon. I called it " Harmonious art".
I wrote an article "Harmonious express" about Japanese contemporary art.
艺术经纬:每个人都可以造梦了?
Editor: Do everybody made a dream?
王:对,实际上更多的是梦幻的一种东西,他是设计人的那种形态、外形,他是按自己的要求在创造,他不是现实主义的东西,因为你说现实,说历史,你肯定是在审视它,对它有要求,甚至是批判性的,但是这一类东西,卡通这一类的东西,他就完全不一样。
Mr. Wang: Yes. Actually it is a more dreamlike thing. It designs people’s form and figure. It innovates according to its need, and it is not a real thing. It is reality and history; you survey it and demand it and critic. But cartoon isn’t the same.
艺术经纬:感觉起来,他无论是对自己的还是对别人是有信心的?
Editor: It was confidence to itself and other. Wasn’t it?
王:我接触他们,对艺术家,这个说实话,他们既崇拜又不屑一顾,他们认为艺术家是很少的一部分人能当职业玩儿的。因为他们的普世价值是奉献,奉献给社会,最好的办法你就去上班啊,你去当工人、营业员啊,所以日语里叫他们“社会人”。
Mr. Wang: I touched them. To artist, actually, they admire them and do not worth a single glance. They think that litter artist to do art that can be a professional. Because their value is devotion, it devotes the society. The best way is tihat you go to work, and as worker and shop girl. So they called “Social man” in Japanese.
艺术经纬:你觉得搞艺术还是奉献得太少?
Editor: Do you think artist devote litter?
王:对,实际上这不是一种社会分工,而是社会在养你,一种自私的选择,比如说当年我考四川美术学院附中很大个原因是文化成绩不好,只有附中好考,现在的艺术院校考生不都一样,所以我从来就没觉得自己搞艺术有什么了不起,我只是把画画当作一种解脱办法和独善其身的修行方式.
Mr. Wang: Yes. In fact this is not social division of labor, but the society bring you and a selfish choice. For example, I entered myself for attached middle school of Sichun Academy of Art examination. My cultural grade was not good and had to choice it. Now art schools students are the same. So I don’t think that I do art is amazing. I just regard it as a way of extricate myself and the way that was righteous alone in a community where the general moral tone is low.
艺术经纬:那你怎么看当代艺术圈?
Editor: How do you think contemporary art circle?
王:这圈鱼龙混杂,大都是在“混口饭吃”罢了!
Mr. Wang: The art circle is like dragons and fishes jumbled together. They are just earning their bread.
回到绘画依然对景观敏感
Back to painting and still sensitive to the landscape
艺术经纬:我刚才一直想问,这个铜元局是?
Editor: Editor: I’d like to ask what the Tongyuanju is just now.
王:铜元局是重庆南岸区江边的很老的一个区域,是地名。可能你没有住过这种房子。应该是六七十年代的一个标准建筑形式,楼不高,一般是七层以内,有的一般是五层、六层这种,单位修的,在这里面,我说的刚才那种邻里关系啊这种,他就是在这个生活状态。
Mr.Wang: Tongyuanju is a geographic name, which is very old area of on the side of the river in Nan’an district of Chonqing. Maybe you have not lived in such house. It should be the standard architectural form of sixties and seventies, that is, no high buildings, usually seven floors or less, and some are usually five or six floors, built by units. Here, the neighborhood I mentioned just now is this living state.
艺术经纬:他就是一种圆顶房子,是不是为了排水?
Editor: It’s a dome house, is its intention for drainage?
王:一个是防水,第二个是隔热,有拱形,它能通风嘛,对,能通风。
Mr.Wang: One is waterproof, and other is insulation and with arches. The arches can be used ventilation. Yes, it can.
艺术经纬:这种房屋在重庆是挺多的,还是说那个时间段比较多?
Editor: Were there many this kind of house in Chongqing, or were there many at that time?
王:以前是全国都很多。这种一般是国营企业,以前国营大的企业他修职工宿舍,基本上按这个来修。因为重庆以前是工业城市,以前很多地方都有,现在快拆完了。
Mr.Wang: There were many houses all over the country before and generally built by state-owned enterprises. The staff dormitories were basically built according to such form by the large state-owned enterprises before. As an industrial city previously, there were distributed throughout many places in Chongqing and now they were pushed down nearly.
艺术经纬:可能是那个时候的一种流行的样式吧?
Editor: Maybe it was a popular style at that moment, wasn’t it?
王:对,那个时候的产物,也是我们居住记忆的一部分。
Mr.Wang: Yes, it was the product of that time and also one part of our living memory.
艺术经纬:那这个师家沟是哪儿的?
Editor: Then where were the Shijiagou?
王:师家沟是山西的一个窑洞建筑,实际上它就是一个坡地建筑,是在一个山沟里面随地势做的一个建筑。这个建筑我觉得是很好的一个就地用材,比如这儿没有什么树,他就尽量少用木头,就用砖和泥两种材料来做,还加一些石头。而且他们那种院和院之间那种交通梳理啊,让你觉得设计得非常人性,非常人性的。
Mr.Wang: Shijiagou is a cave dwelling building in Shanxi, in fact it is a hillside building which located in a valley with the terrain. I think it is well done to obtain materials from local sources, for example, there are little tree here, then it minimize the use of wood and used brick and mud, and added some stones. Furthermore, you will feel the design of arrangement of traffic among yards is humanistic very much.
艺术经纬:它这个很快出来的,还是慢慢形成的?
Editor: Was it formed quickly or gradually?
王:这个应该是清代到民国时期的建筑。
Mr.Wang: This should be the contracture from Qing Dynasty to the Republic of China.
艺术经纬:民间慢慢形成的?
Editor: Was it formed gradually among the folk?
王:对,民间慢慢形成的。他里面能看到那种传统中国建筑里面的一些伦理道德的东西,就是一个家庭里面,比如正堂、厢房这些东西,我觉得这个就是中国,是中国传统的东西。
Mr.Wang:Yes, it was. We can see that it reflected Chinese ethical in traditional Chinese architecture. That is, there were, for example, something like antechamber and wing-rooms in a family, which is Chinese traditional things, I think.
艺术经纬:看起来不像四合院那么规矩?
Editor: Doesn’t it look like courtyard well-disciplined?
王: 看起来不像四合院那么规矩,但错乱中有规矩章法,因为山西他那个地方,可能也受一些环境、材料的限制,他也要有居住,而且山西的很多建筑是做得很好的,包括那个乔家大院啊这些。
Mr.Wang: Though it does not look like courtyard well-disciplined, there are rules and composition in disorder, such place of Shanxi, may also be affected by some environmental constraints, material constraints, they also have to build for living, and many buildings of Shanxi are well done, including these such as the Qiao Family Courtyard.
艺术经纬:对对对,我去看过,而且乔家大院很大。
Editor: Right, I have gone to see it and it is large.
王: 那个是其中一个大家。我画的师家沟它就是一个村,都是差不多大小的房子 。
Mr.Wang: That is one of the large courtyards. The Shijiagou I painted is a village, and all houses are almost the same size.
艺术经纬:但是互相结合的就特别好?
Editor: But is the combination with each other particularly good?
王:对,结合得非常好,因为重庆是坡地嘛,我们在设计的时候,就会考虑到坡地建筑的一些,就是交通梳理啊这些东西,我一看人家梳理得很好,一百年前就做得很好了。
Mr.Wang: Yes, it is. Because there are many hill slopes in Chongqing, when we designed, we would have to take into account something of the slope building, this was, these things such as traffic arrangement, and I find it was done well one hundred year ago.
艺术经纬:而且他不是属于那种一家隔一个大院,都挨着。
Editor: And they are near each other and not separated by a country yard.
王:都挨着的,有的共用一个墙,而且他取水、排水这些都很合理的。
Mr.Wang: All next to. Some share a wall, and getting water and drainage are all reasonable.
艺术经纬:您也比较关心这种像什么新闻事件,或者是?
Editor: You also pay attention to news and events, or like this, are you?
王:我觉得新闻是历史发展的节点事件,历史在发展,就会不断有新闻发生。我想用我的价值观来分析过滤过去和现在所发生的节点事件,比如说我画《登月》,实际上是对人类科技发展的一个悖论,我们自身所处的地球是否已经容不下我们人类自身,要是月球住满人类后,被人类糟蹋后又怎么办?
Mr. Wang: I think the news is a node event in the history development. As the history development, the news would be come out. I want to analyze the node of the past and now using my value. For example, I painted "Ascend the moon"; actually it was a paradox of human technology development. Whether the earth we live can’t hold us, we want to the moon to live. The moon would be destroyed, how should we do?
艺术经纬:那个时候怎么想到从景观设计转到今天的绘画的?
Editor: How did you transform from landscape design at that time to painting now?
王:我以前是川美油画专业毕业的啊,算是老本行。
Mr. Wang: I graduated oil painting of Sichun Academy of Art. It is my major.
艺术经纬:你是偶然间回来的吗,还是?
Editor: Did you do art by chance or ……?
王:07年初到北京见朋友,被“忽悠”来了(哈哈)。突然想通了吧。以前是做生意嘛,做生意你就会遇到很多让你不开心的事情。但不是说挣不到钱,肯定能挣到钱,但是你会放弃很多,你的原则,你对人的喜好,有的你很讨厌他,但是他是甲方,他有权利,你会牺牲这些东西,我想我现在差不多了,不想再牺牲了。
Mr. Wang: I visited my friend to Beijing in the early 2007. I was cheated. I think clear suddenly. Before doing a business, I faced many unhappy things. It is not said that I didn’t earn money, but I gave up my principal and hobby. Some times you hate him, but he was part A and he had a power, I could scarify something. I thought it was enough and I didn’t scarify again.
艺术经纬:这也算是一种交换啊,好像貌似必须要忍受一下,然后才能得到钱?
Editor: Is that an exchange? You must be bear and then you can get the money.
王:对啊,对。你们做杂志也是经营,你也知道。
Mr. Wang: Yeah. You know, that you run magazine also is business.
艺术经纬:我做这个是因为我觉得那边能挣到钱,我这边就能够坚持着做艺术,但是如果单纯在这儿扛着,我觉得扛不了多久。
Editor: I do it in order to earn money. I think I can earn money there, I can insist do art here. If only I do this, I would be break down.
王:我以前比较极端,要做的话,我肯定要做到最好。我们设计公司,也是在重庆很有名的一个设计公司,我一旦对做事较上劲,就会争个输赢。现在看来有点死磕!
Mr. Wang: I was extreme a little bit before, if I can do it, I would do the best. Our design company is a famous company in Chongqing. Once I do it serious, I would contend win or lost. It seemed that it too rigid.
艺术经纬:我觉得还是搞艺术的人一旦做一件事情,他对品质的要求是不一样的,您是做了多长时间,现在还在做,是吧?
Editor: I think that an artist once do a thing, he demand for quality isn’t the same. You do art a long time and you have been doing, don’t you?
王:现在我完全放下了。
Mr. Wang: Now I completely give up.
艺术经纬:现在是一个比较平静、单纯的状态。
Editor: I am in a quite and pure state.
王:对,现在就只是画画,也到处走,因为那时候你在地方上做事情,手机随时要开着,要随时让人家找到你,你要在场,你出去玩的时间基本上没有,实际上比在单位还恼火,单位还会放假,老师更好,有暑假寒假,完全属于自己了,那时候做生意是不行的,你必须待在那儿,盯在那儿,没时间让你出去,我是很想走动的一个人,所以我到北京以后,我就一个人开车去山西啊,甘肃啊,西藏啊,一个人开车到这些地方到处转悠。
Mr. Wang: Yes. I only paint and go somewhere. As I was businessman, my cell phone switched on anytime. I had not time to play. Actually I was angrier in the company than I was the unit. If the unit had summer and spring holidays, the time is belong to you. But I run a company. I must stay the spot and look after. I like tour. After coming Beijing, I drove to Shanxi province, Gansu province and Tibet by myself to tour.
艺术经纬:到这些地方,您还是对一些景观感触比较深吧?
Editor: When you went to these places, you also are sensitive to landscape. Didn’t you?
王:我对这个敏感,所以一看就能打动我,可能我对其他的,比如说我对人,还没有到这个程度,虽然我建筑景观的内在主体是人,对人肯定有兴趣,最近我开始有想法把人作为绘画主体。
Mr. Wang: I am sensitive to it. So it can be moved me. Maybe I am not sensitive to other things or people. Though inner main body of architecture landscape is people, I am also interested people. I am thinking that I start paint people mainly recently.
艺术经纬:很期待你的新作!
Editor: I am looking forward you new works!
王:好的,我也希望有新的东西出现。
Mr. Wang: Yeah. I hope so!